「ちょうど1,000円です!」が消えた


今日スーパーに行って適当にお菓子を買い込んでレジに通した。
すると、レジ担当の方が「わ!ちょうど1,000円です!」と目をキラキラとさせながら金額を告げてきた。
7点くらい別々の商品をカゴに入れていて、そのどれもが軽減税率の品であるため確かに珍しいことかもしれない。

僕はそんな声掛けに対して「おぉ~すごいですね!」なんて驚く社交辞令をした後に、「Suicaで支払います」と淡々と伝えた。
キャッシュレス社会へ進みつつある世の中では、金額を伝えられたら支払い方法を言うのが一般化し始めている。
しかし、今回のように「”ちょうど”1,000円です!」なんていう場面では、そのキャッシュレスの利便性がその場を殺しにくる。

店員の輝いた目からハイライトは消え、声のトーンも落ちてしまい「かしこまりました。画面が変わりましたらタッチをお願いします。」と、先ほど起こった幸運はまるで別世界での事だったかのように、Suicaによって異次元へと飛ばされてしまったのだ。

キャッシュレス決済が浸透して生活の利便性は遥かに向上した。
しかし、利便性が向上すると人の心は寂しくなるものなのだろうか。
コロナ禍とキャッシュレス社会の浸透が重なってしまったからそう感じているだけなのだろうか。


という日記。

このままでは、「昔はな~・・・」と面倒くさい話をする中年になりそうだ。


昔より便利になった今は幸せだろうか。

会いたいと思ったときにすぐ電話することができ、顔を見ながら話せる。

伝えたいことがあったら0と1で暗号化して即時に伝えられる。

コンテンツに溢れていて、いつでも家で楽しい時間をひとりでも過ごすことができる。


僕はどこか寂しさを感じながら、便利なものを享受して生きている。


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