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にちようびの空気

秋分を迎えて風が爽やかになった。
いつもであれば仕事で、気がつけば日が暮れている日曜日に出かけることができたので、こんなチャンスは逃すまいと思ってぶらぶらと歩くことにした。

日差しはまだまだ暑いけどもう真夏の鬱陶しさはなくなって、むしろ陽光がありがたく感じる。

堂島川に沿って、この前ほぼ1年ぶりに映画館に足を運んで見た『バービー』について語り合うポッドキャストを聴きながら歩く。風が強めに吹いて、都会臭い一級河川の匂いを連れてくる。風情はやや落ちるが悪くはない。なんせ私は肥後橋〜淀屋橋〜北浜の辺りを愛してやまない。理由はただ単に素敵なカフェが沢山あるから、では説明がつかない。オフィスビルとモダン建築が共住している小洒落た雰囲気のせいだろうか?そういえばSAVVYの北浜特集号をまだ買っていなかった。

窓を開けた瞬間、紅茶を飲みたい天気だと思った。
それも外で。
家にも紅茶が沢山あるし、ベランダで飲めば欲望は満たせるのかもしれないけれど、今日は外で飲みたかった。
給料日前に加えて今月は財布が羽目を外したので(なんとも他責思考な言い草である)、やめときゃいいのだが、日曜日で、快適な気候で、という好条件が揃った機会はなかなかない。
とんでもない自分の刹那主義と消費への執着と衝動性に心底呆れる。どれくらい刹那主義かというと東京事変の『閃光少女』を初めて聴いた時にこれ私のための歌じゃんと思ったくらい。どうしようもない阿呆の欲望を携えて、長らくgoogle mapの「行きたいカフェリスト」のピンが刺さったままのカフェに向かって黙々と歩いた。

途中、いつも北浜蚤の市をやっている高架下の公園らしきスペースで若い男性2人が対人シャドーボクシングをやっているのが目に飛び込んできた。
その唐突さと、シュールさと若さゆえの怖いもの知らずな雰囲気が大学の時のサークルで制作されていた映画を思い出させた。もっと別の言い方をすると、森見登美彦作品に出てくるような学生の“アホらしさ”みたいなものを感じた。
近くの100円自販機で水を買うついでに2人の様子を背後からこっそり覗くと、いつの間にかボクシングはやめており、ベンチに人1人分の距離を空けて座って談笑していた。どういう経緯でこの場所で拳をエアで闘わせていたのかはわからないが、なんだか「いいなあ」と思った。それは、普段は家族と職場の人以外との接触があまりなく、ここ最近の「自意識に閉じこもっていないでもっと人と何かしら交流した方が良いのだろうな」という個人的な考え事にもおそらく由来しているものと思われる。

目的地に近づくとともに、ポッドキャストも後半に差し掛かる。『バービー』はフェミニズム映画なのか?あるいはエンパワメント映画なのか?それに対しての渦巻くようなディスカッション。登場人物全員を馬鹿にしている、そしてその全ての人が救われている、けどなんだか後半のあのピークのシーン以降はスッキリしない、などなど……今まで、見た映画について他の人の感想を漁ることなんて滅多になかったし、北米のポップカルチャーについては全く明るくないけれど、誰かの感想とか分析を聞いてみたくなる、『バービー』は今までにない鑑賞体験を私にもたらしたのだ。うわ、めちゃくちゃ英→和の訳文みたいな書き方になったな。

そして『バービー』の体験は、アウトプットを頑張りたい、という重い腰付きの願望の一つを実現させるためのトリガーとなった。今は忌まわしき名のX・旧ツイッターのクソみたいな投稿の文章でも、ゆるいポッドキャストでも、私は多分毎日何かしら意識せずともインプットはしている。ただそれについて抱いた何かしらの感想めいたものとか感情が、よっぽど強いものでなければ他の日々のやらなければいけないことに押し流されてしまっていた。何かしら取り入れているのにそれに対しての記憶がないと言うのは実に寂しいことだ。

それに、脳内で発生しているマーブル模様の簡単に掴めない揺れ動きを記録し、残すことが人生で1番やっておきたいことだ、という思いがあった。
だって死んだらそういう脳内のことは全然わからなくなるわけだし。それってすごくもったいなくないですか?私いつ死ぬかわかんないよ?そのうちかもしれないし、明日かもしれない。
別に私の名前を世界に知らしめたいとは思わないけど、こういうこと思ってた人が過去にいたんだなっていう事実は誰かの救いになるかもしれないじゃない。うーん、こう書くとすんごい余計なお世話だな。別に誰かのためにやりたいわけじゃなくて、私が満足したいだけなんだけど。でもこれもエゴイストぽくてやな感じかも。

だから、なるべくきちんと感想を紙に書き出そうと思ってルーズリーフとバインダーを用意した。
こういうnoteみたいな場所に感想を綴ろうとすると、何かうまいこと言わないといけないような気がするし、「そんなの誰の目からも見て明らかだろ」と言われるかもしれないことに恐れをなしてしまう。けど、1人で紙に書き殴るだけだったら、誰にも読ませるわけではないからプレッシャーもなく素直に思ったことを頭から取り出してそれを眺められると思ったのだ。それで、まず手始めに『バービー』を見て思ったことを書き出すと、案外スルスルと出てきて、なんだ、私ちゃんと何かしらを感じてるじゃん、ちゃんと感想書けるじゃんとちょっと感動した。

……紅茶をサムネイルにしているのにまったくカフェに辿り着かないのでバービーの話はここで切り上げることにする。

ゴールとしていたカフェは日曜のランチタイム間近だったが開店後30分というのもあってか私以外にお客さんはいなかった。
テラスの陰になる席に座って、めちゃカラフルな野菜モリモリのサーモンのサラダと食後に紅茶とケーキを注文した。
今思えば別に強がらずにパスタとか食べたらよかったんじゃないかと思うけど、朝食のパンが罪悪感で震えるようなハイカロリーだったのと、日頃の野菜不足を感じてたのもあってそのチョイスになった。あのね、食事で変に炭水化物抜くの良くない。ダイエットもどきみたいなのをしている妹にも言ったけど、それが自分にも跳ね返ってきた。16時現在、夜ご飯までまだ時間あるけど普通にもう腹ペコ。新人プロレスラーの育成かの如くモリモリ食べて育ってきた人間は、ボウルいっぱいの野菜食べてもお腹いっぱいにならない。てか朝に「野菜一日これ一本」飲んだからもうそんな遠慮しなくてもよかったんちゃうか。
でもサラダは美味しかった。バナナとかカシューナッツとかドライクランベリーが入ってたのがおうちご飯ではなかなか辿り着けない境地だなと思った。

食後に頼んでいたのは柘榴の香りのフレーバーティーと桃と紅茶のショートケーキ。
別に柘榴に目がないわけではないしなんなら「柘榴ってどんな味だっけ?」ってレベルだけど、それを選んだのは効能的な説明書きに「女性ホルモンを整える」と書いてあったから。本当かどうかはちょっと疑わしいけど、ちょうど生理前でプロゲステロンが暴れてるのを感じていた。
私はフレーバーティーよりはノンフレーバードの紅茶の方が好きなのだが、カップに注いだ瞬間、甘いのにしつこくない芳香が漂ってきて、これは茶葉を家に連れて帰るだろうなあと早くも予感した。実際そうなった。みなさん、お財布の事情をもっと考えてモノを買うときはよくよく検討した方がいいですよ。私を反面教師にして。でも柘榴のフレーバーティーなんてなかなかないし、生理前のお守りになるし。言い訳だらけの人生である。

私はあまりスポンジと生クリームのケーキはそこまで好きではなくて、ショートケーキよりは絶対にフルーツタルトなんだけど(キルフェボンのタルトをホールで買うのが夢)、紅茶味のお菓子にはこれまた目がない。しかも週末限定ときたらこれを逃したら二度と食べられないのだから選ばない手はない。
紅茶のスポンジと甘さ控えめのクリームでとても食べやすかった。本を開いては中断して少しずつフォークを入れながら食べ進めた。紅茶はなんとカップ4杯分もあったので実にくつろいだひとときとなった。

前から不思議に感じていたのだけれど、土日の晴れた日って平日とは違う独特の空気が漂ってるよね。
なんだろう、全ての輪郭が柔らかいというか、穏やかな気持ちで満ちているというか。多くの人が休みで羽を伸ばしていて、何にも追い立てられることがないからかな。街を歩く人もそれぞれ思い思いに何かを楽しんでいるし、時間も、あっという間に過ぎてはしまうんだけど、ごくごく静かにさらさらと流れている気がする。

そういう日のお出かけってたまらなく心地がいい。基本的にうるさくないところが好きで人混み好きじゃないから、平日休み万歳って感じだけど、こればっかりは土日休みの人が羨ましいなと思った。ちなみに梅田とかの超都会にはこういう空気は全くありません。品がない。むしろ疲弊する。

気づいたら3000字超えてる!こんなスラスラ書ける力量あるなら学生時代のレポートに活かしたかったわ。
以上、田中星児もびっくりのビューティフルサンデーでした。


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