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経過観察 (3)

 2ヶ月ぶりに精神科を受診した。これが何度目の受診なのかは忘れた。兄が亡くなってからまだ10回は来てないだろう。ひどい疲労感だ。最近は忙しかったので、憂鬱になる暇もあまりなかった。人との交流も多くて、楽しいと感じられる瞬間がちゃんとあった。でもどこかでずっと、これでいいんだろうか、と思っていた。だから、このタイミングで精神科を予約していたことは良かった。しんどくても、私を私の現実に引き戻す時間は、月に何回か必要だった。

精神科を受診するとき、異様に言葉が詰まる。自分の中にある感覚をうまく説明したいのにできない。私にはまだ知らない言葉が多すぎる。私は私のことを弱いと思う。自分の弱さに立ち会う時間は本当に疲れる。疲れるけど、苦しみの中にあえて自分を引き戻す作業はときどきしないと、私は多分何も感じなくなっていく。

 最近兄の記憶の置き場所に困っている。そんなことにはずっと困り続けているのだが、最近の私の人生は加速気味だったので、なおさら記憶たちは私の中で右往左往している。就職も決まった。それは大変喜ばしいことで、私は私の努力を誇りに思う。頑張って、幸せになろうと決めた。でも、幸せになっていいんだろうか。兄のいない世界を踏みしめて歩き、兄のいない時間は刻一刻と集積してゆき、兄の得られなかった様々なものを私は手に入れながら暮らしていくのだろうか。そんなことは、どう考えたって罪だった。誰になんと慰められても、私が私を浅ましいと思う気持ちは変わらないだろう。私は私を暗いところに追い詰めるほど、生前の兄を近くに感じられるはずなのに。私は兄といた場所からどんどん離れて遠くに行ってしまう。行ってはいけない。

 医者には、人間関係が変わっていくことは普通のことだと言われた。対象がが死者であっても、生者であってもそれは同じ。生きた相手とだって、その人との距離感、存在の重要さは私の中で日々変わり続ける。だから私は兄の記憶を、ひとつの場所に置き続けることはできない。私が兄の記憶、その後悔や贖罪と共に生きていくことには変わりないけど、それを鞄に入れて毎日持ち運ぶのか、本棚の一角に置いておくのか。それはその日その日の私に任せて進むしかないのだろう。

 精神科を受診することは私の生活の中である種の罰として機能し始めている。私は治療を求めて通っているのではない。処方されている抗うつ剤や睡眠薬がなくたって、少し困りはするかもしれないけど、どうにか生きていくことはできる。誰かに話を聞いてもらわなくても。弱音を吐かなくても。むしろできるだけ兄の記憶に触れず、向き合いもせず、ただやるべきことに淡々と取り組む方が気持ちは安定する。だけど、それではだめなんだと思う。私はずるいから、楽になろうと思えばなれてしまう。だから意識して苦しみの渦中に帰るようにする。受診した日は、過去や現在の苦しみを言語化する作業の重みに耐えきれなくて、大抵泣いてしまう。そのままの顔で帰るのは躊躇するけど、これまでだって散々新幹線の中や、帰り道や、いろんな開けた場所で、知らない人の前で泣いてきたのだから今更だった。朝早くに受診したから、その日は夜までずっと息苦しかった。いつも持ち歩いているポーチから抗うつ剤を取り出して2錠飲んだ。眠くなって、足元がおぼつかなくなる。化粧も落とさずに寝た。

 最近またじわじわと憂鬱が私を侵食し始めた。忙しさなんて薬にならないことを思い知った。忙しさに慣れてしまえば、隙間をぬうようにして絶望はまた簡単に生活に入り込んでくる。真っ黒い蛇が、私を背後から常に見ている。文章を書いているときは、私の孤独が、少しはやわらかくなるような気がする。

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