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飛行論

深夜1時。

エアコンと自分の呼吸の音しか聴こえない中、
思考の世界の奥深くに入ってしまって、現実世界を留守にしてしまうことが、時々ある。

いまは、過去のブログを見返している。

部屋を大掃除している時に、出てきた昔のアルバムや日記を見はじめて、ついつい時が経ってしまう、あの状態。

無限に時間が過ぎていく、「ノスタルジー中毒」。

こういう時に限って、いらんことばかりが頭の中に溢れてくるから、収集に困る。
だが、根拠のない思考の旅の末に、タイミングよく良い場所にたどり着けることもあるから、やめられない。
うまくいくと、思わぬ気づきを得られたりして、思考の旅も良いものだなと、その偶然性に酔いしれたりする。

今回は、後者。

大学を卒業した時に書いたブログをクリックする。
懐かしいな、なんて思いながら読み進めていく。

ふん、ふんふんふん。

一言一句全てに頷きながら読んでいる自分に、ふと我に返る。

1ミリも、『は?この時のわたしなに言ってんの?アホなの?』などと客観的な疑念を抱かず、100% agreeで読んでたりするからびっくり。

2年も前の記事なのに。
いまは社会人になって、広告のお仕事をしている。
大学を卒業してのんびり遊びまわっていた時とは、生活のすべてが変わったはずなのに。

あの頃から全然成長してない?変わってない?と、一瞬不安にすらなる。

けど、人なんてそう簡単には変わらないか。そんなもんだよな、と妙に納得し、一応最後までは読もうかと、カーソルを下に動かしていく。

突然だった。

目に入った一文に感電したかのように、カーソルを動かす右手が止まった。

いまのわたしに必要なことを思い出させてくれるような言葉があったから。

『もしかしたら、次のステップアップは、誰かの大好きを作る?じゃないけど見つける?なのか、届ける?なのか、大好きをつくっていく番なのかと思ったり。』

ふむ。

「つくる」の表記を漢字と平仮名で統一できていないことが気になるけど、なるほど、と思った。

就活をしていた頃にまで遡るけど、
わたしはもともと特に広告業界を目指していたわけでもなく、むしろ両親と同じ業界に行くのがなんとなく「負け」な気がして、
だけど「企画すること」に対する意欲と興味はあったものだから、
コンサルやファッションやマスコミなど、直感で「企画ができそう」と思ったところを受けてたりした。

その当時自分の強みだと信じて疑わなかったのは、「好奇心」だったし、
博愛主義な自分なら、どんなこともたのしく、どんな人も受け入れてやっていけると思っていた。

で、いくつか内定をもらい、就活を終えようと思っていた矢先、ひょんなことからあれよあれよといまの会社への就職が決まった。

結局広告業界に決まったことは、いざ決まってみると、不思議なくらい肌になじんだ気がした。

だいぶ自分語りみたいになってしまったけど、要は、そんな想いの中書いたブログだった。

広告って、世の中の人が、その商品を好きになってくれるような仕組みをつくること。

世の中の「好き」や「大好き」をつくる仕事をこれからしていく。そんな風に自分なりに意識しはじめた一文だったのかなとおもう。

そんなピュアな一文が、広告の中の人になったわたしの体中を、高電圧で駆け巡った感じだった。

だからと言って、明日から突然なにかが変わるわけじゃない。
だかだか数年前の自分のブログ。

けど、うまい具合にいまのわたしに足りない栄養素になって、もしかしたらちょっとした閃めきや、かすかな優しさに繋がるかもしれない。

言葉、なんて、
もしかしたらその瞬間誰かの人生を大きく変えることもあれば、誰の気にも止められないこともある。

でも、どんな言葉も、
必要な時に必要なところに届くようにできているんじゃないかな、とわたしは心のどこかで信じてる。

自分が発した言葉なら尚のこと。

一番自分をわかっている言葉、
最も美しいタイミングで、自分の元に帰ってくる。

何度も同じ小説や漫画を読み返してしまうのも、
飽きる、飽きない、とかいう話ではなく、
その時そのタイミングで、必要としている言葉に出会えるような気がするから、読み返すんだとおもう。

いつ、どこなのかもわからないけれど、きっと誰かの心に着地する。


まだまだ飛行はやめられそうにないなあ。


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