図書館にて

図書館に来たのは一年ぶりだと思う。いや正確には先々週ぐらいに駅前にある小さなほうに飲み会までの暇潰しに寄ったのだけど、そこでは雑誌を立ち読みする程度だった。ちなみにダヴィンチだ。
今私は大きな図書館でパソコンを開いている。

「…………」

窓際を陣取ったので、眼下の道路を眺める。眺め、適当に取ってきた本を開いて、たまにフォルダの整理をする。時折、ペットボトルの水を飲む。蓋つきならオーケーらしい。

「…………」

ぼーっと考える。そもそもこんな風にパソコンで長い文章を書くのが久しぶりだ。無計画とはいえ、文章を書くの自体この数か月行ってこなかった。
本来しなければならない原稿はまあある。メモがてらに書いておくと今月中だったか今月下旬だったかに3000字程度の寄稿二本と、書きかけの40000字の原稿がある。まあ前者はいざとなったらいつでも書けるから焦ることはないとしても、いい加減期限は確認すべきな気がしてきた。確認しよう。というかまあ今日中に書けば正解である。脳筋。確認したら25だった。やっぱり今日中に書いておこう。

それにしても。ぼーっと窓下を眺め、水を適当に飲み、適当に本を開き、また適当に文章を書く。
こんな時間を取れるのはいつぶりだろう。こんな風に、パソコンを開いて傍らに借りたい本をおいて、ペットボトルの飲み物をおいて、自習というていで図書館にいるのは何か月ぶりだろう。

私は思う。まったく進まない原稿はある。けれど、それでもこうやって図書館で作業している風なことをするの自体がひどくなつかしい。ありていに言えば心が躍る。原稿は進まないが私の心はこの余暇にとても安らいでいる。

この数か月様々に私の心境は変わってしまった。ツイッターのアカウントは消してしまい、小説を書こう書こうとするのはやめた。去年から頼まれていた仕事はさすがに請け負うが、それ以外の――自分で書いていた40000字ほどの長編はいつでも書き上げていいという認識になった。そのことにひどく安らいでいる。今月中に頑張って書き上げれば、来月のオンリーに出せるし、また読者もつくだろうが――本来趣味で小説を書くとはこんなものでいいのかもしれない。

頭では分かっていても心が理解するのに随分時間がかかってしまった。故に私はツイッターのアカウントを消した。

今の私はソシャゲをやり、ゲームをし、アニメを見て、家事をする。そういう休日を送っている。それもそれで心が躍る。いい加減上半期に見たアニメがかなり多くなったのでどこかにメモしておきたい。
だけどやはり、こういう無為に図書館に来てPCを叩く、それ自体が私にとっては娯楽だったのだと私は思った。

ところで久しぶりにノートに来たら、かなりUIが変わっていてブログのようだ。相変わらず編集時にタイトルをでかでか載せるのはやめていただきたい。見る人はいないだろうが恥ずかしい。
私は相変わらず誰かの得になるような文章は書けないからいい加減ブログを作ってもいいかもしれない。今生き残っているのはやはりはてブだろうか。

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