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中学までは野球小僧⚾️

皆さんはPayPayというアプリをご存知ですか?身近でいうと、テレビのコマーシャルで宮川大輔がやっているコマーシャルのやつです。

☝️このCMを見た事ある人は多いはず。

私も知ってはいましたが、金融関係で少し気難しい感じのアプリは苦手なので、もちろん無縁でした。

ただ、最近でPayPayいいよ!やPayPayだから財布持ってきてないわーなどと言った声が聞こえ始めて、最終的には、同期に魅力を語ってもらい、結局インストールしました。笑

まぁ何がいいか簡潔に言うと、1つは、携帯で支払いができるということですね。また、クレジットカードでやる方法もありますが、自分の銀行の口座とも直結することができます。
そしてもう1つは、PayPayで支払うとお得ということです。詳しくはアプリを入れれば分かりますよ🙄是非試してみてはいかがでしょうか…

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本題へ入ります

私は陸上の長距離をするまでは、野球一筋でした。人よりは上手くできる程度で、めちゃくちゃ上手という訳ではないですが、今でも一応小便カーブぐらいなら投げれるはずです。笑

そんな過去を陸上と少しずつ照らし合わせながら、紹介していきたいと思います。

❐目次
1.市原少年の野球経歴⚾️
2.突如現れた陸上というスポーツ

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1.野球との出会い

野球は親の影響が強くて始めました。
よくナゴヤドームに連れて行ってくれて、地元である中日ドラゴンズを応援してました。

私が小学生低学年の頃は常に成績は上位だったので、とても強く勝つ試合が多くて、プロ野球選手の凄さを肌で実感しました。今でもあの頃の興奮は鮮明に覚えています。

そんな野球に対して少しずつ憧れを持ち始めた市原少年は小学二年生の時に野球教室的な所に入りました。

週に一回で試合はせずに、教室なので講師がいて野球のルールや基本的なことを教わりました。

それから2年。小学四年生になった市原少年は野球教室に物足りなさを感じ始め、野球教室を辞め、スポーツ少年団(通称:スポ少)に入りました。一気にレベルが上がり、最初は何回も行くの嫌だなとか思ってました。

小学五年生になると、人数がギリギリということもあり、よく一個上の小学六年生の試合に借り出されて、その小学六年生を指導していたコーチが物凄く怖かったんですよね…。
何回も緊張でガチガチのままプレーして、色んな意味でしんどかったです。

そんな市原少年も小学六年生になり、最上級生になりました。いつも通り練習をしていると、ある日にコーチにキャプテンをやらないかと言われました。

えええ、とかなり困惑しましたが、とりあえずやることにしました。

その経験が今となっては活きていると思うんですよね。そのコーチとはかなり友好な関係を築けました。いつか会いたいなとか思っています。笑

小学六年生の時に関しては、のびのびと野球に打ち込み、とにかく楽しくやってました。今思えばあの時期が一番楽しかったんじゃないかな?と思うぐらい。

そんな市原少年は中学校野球部に入ることを決断しましたと…。
この続きは2.で書きたいと思います👐

ちなみに市原少年は小学六年生のとき140cm.27kgという超小柄な体型でした。運動会のときピラミッドの1番上に立つなどクソチビで、野球に関しては、身長が低いというアドバンテージを活かしてフォアボールばっかで出塁してました。笑

☝️小学校の卒業アルバム。1番上が市原少年👶

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2.突如現れた陸上というスポーツ

中学校に進学した市原少年は上記にもある通り、野球部へ迷わず入部します。

バッティングや守備や全ての能力が向上していて、最初は着いていくのに必死でしたね。

ただ、野球部内で長い時間走るというメニューの際は常に上位で走れました。この頃から人よりは少し体力に自信がありました。

中学校の体育の授業では、持久走という授業が組み込まれていて、私の中学校では3000mを学校のトラックで走らされました。その当時、みんな体育の時間が近づくと憂鬱になってましたね。笑

ただ、その体育の授業の回数を積み重ねるにつれて、タイムも向上していきました。タイムを落とす人はほんとにひと握りで、ほとんど見なかったです。

そこに魅力を感じた当時の私は、少し興味を持ち始めました。

ただ、まだ野球と陸上はどっこいどっこいで、高校に入りどちらを選ぶか迷っていました。

そんな迷ってる日々の中、中学二年生の時に転機が訪れました。

毎年9.10月になると地区で駅伝大会があります。私の中学校は陸上部がない為、大会が近づくと定期的に集まり、寄せ集めの集団でその中で早い6名が大会に走れます。

簡単に言うと、学校で最も早い6人が駅伝大会に出るという形です。

当時の私は8番目ぐらいで出走は叶わず、補欠でした。

県駅伝出場を掛けた駅伝大会に先輩方が走り、10位以内に入れば、県駅伝に出場ができます。

まぁ普通に走れば10位以内に入れるというメンバーでしたが、1区で出遅れ30位ぐらいで襷を渡しました。

その後も結局追い上げますが、11位。県駅伝出場は叶いませんでした。

あれ程悔し泣きしたのは初めてだったんじゃないんですかね??それぐらい悔しくてそこから来年の駅伝大会にかける想いが強くなり、1年間努力しました。

不思議なことに野球の素振りは全然続かなかったんですけど、走ることに関しては何故かほぼ毎日続けることが出来ました。
絶対走る方がしんどいのに継続的に続けることができて、この時にもしかしたら野球よりも陸上の方が向いてるかも?と思いうようになりました。

努力は叶い、翌年の駅伝大会で5位に入り県駅伝出場をしました。

☝️当時の駅伝大会の様子。渡す方が私です👶

結局そのまま、陸上の沼にどっぷりとハマってしまった私は、高校へ陸上推薦で行きました。

当時は、私立で推薦ということもあり、少し迷っていたんですけど、その背中を普通に押してくれた親には感謝してますね👌

この出会いや一つ一つの経験判断があったからこそ今の自分がいると思います。
ちなみに全く後悔してません。今までの判断が本当に全て正しかったんじゃないかと思うぐらいです。笑

以上で終わりたいと思います。2.に関しては少し辻褄が合わないタイトルになってしまった気がしますが、気にしないでください。笑

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あ、最後に一応言っておきますが、野球はスポーツの中で一番好きなスポーツです。趣味程度では全然今でもやります。

☝️高校1年生の時の私。背面キャッチを失敗して爆笑してます。笑

何が言いたいかと言うと、誰かキャッチボールしようぜ⚾️

今回も読んで頂きありがとうございました!!

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