24-13 年とともの学び

 2023年度下期に、「生涯学習」に関して学ぶ機会があったので、その学びと兼ねて今日は書いてみることとする。生涯学習と一言で言っても対象が幅広く、正直「学校へ行かなくても良い年齢になってからの学び」くらいにしか考えていなかった。会社を早期退職し、個人事業主になる少し前くらいから意識した言葉である。実は、こう言ったことは行政の施策としても行われてきた。身近な図書館や、公民館、集会所なども、この類にはいるのである。そう言えば僕は小学校の頃、近くの集会所?で開かれる将棋教室に通っていた。しゅう一回だったと思う。徐々に上手くなり、最後は子供同士ではなく対戦の半分は教師の先生とコマ落ちで対戦していた。厳密な段位はなかったが、アマチュア1級から初段くらいだねと言われたことを覚えている。
 生涯学習の話になる前に、ここまでの学びを年代ごとに、言語化してみたいと思う。
 小中学校の義務教育時代は、大人の中に入るための準備がメインであったと思う。今後、両親や学校の先生以外の大人と、社会で接して行くために、そのためのルールや、最低限の知識を得る必要がある。もう言ったことを学んでいた気がする。
 高校時代は、高等とつくだけに、少し専門性が高くなり、場合によっては将来必要では無いかもしれないが、将来やりたいこと、就きたい職業を選ぶまでに、いろいろ経験するための場だと考える。だから、将来この科目は使わないかもと言うのもあながち間違いでは無いかもしれない。ただ、この段階で好きなことを見つけられればラッキーで大抵はそうは行かないので、色々お試しで学びをするのが良いのだろう。
 大学時代は、より専門性が高く、ここで一番大きいのが、答えがわからない問題に対峙することを経験することである。特に日本は、大学受験までは、学びの大半は答え探しで、すでに答えが用意されているものがほぼ全てであるが、大学からは特に研究となれば、今まで誰も検討していなかったことを、研究するので、答えが当然用意されていない。そんな結果をまとめる経験をする。同級生の一部にはそれに困惑するものもいたが、僕自身は、とてもその点が気楽で良かったと感じたことを覚えている。
 社会人時代前半(30代前半くらいまで)は、会社と業界のルールを学ぶ時期でもあった。僕は会社の帳票類が苦手で、よくミスをしたものである。また電気電子分野の研究職や、業界のトレンド、それを鑑みた開発など、その一部は業界の雑誌が引いた折れ線グラフに沿って仕事をしているのでは無いかと思い時もあった気がする。
 社会人時代後半は、人のマネージメントと、経営を学ぶ時期であった。管理職にならなくても、人間関係やプロジェクトは切っても切れない関係で、にげられないことと感じていた。ただ、並行してスポーツに関係していたせいか、この点が苦手ではなかったと僕自身は感じている。スポーツ現場での学びと、会社での経験とうまく共存共栄しつつ、経験値を稼げたかもしれない。
 50代になって、この辺りからが生涯学習なのかもしれない。それまで、何かに興味が湧くと、資格を取流など、集中して勉強したりなどはしていたと思う。そうでもなければ、アロマ検定1級を持っているはずがない。では、生涯学習を言語化すると何になるかと考えてみる。しなくても困らない。でも、したくて学んでいる。メリットは、話題の幅が広がる?次の学びの土台になる?同じ景色、同じ街、同じ店にいても、思い浮かぶことが異なることがある。以前も書いたが、好奇心の種になる感覚もある。そうすると、生活に彩りを与えてくれるものか、軽く華やかにしてくれるもの。あたりが、なんとなく腑に落ちる言葉である。そう、「生涯学習は、少しだけ生活を華やかにしてくれるもの。」今年は、こんな感じで生涯学習を捉え直してみることとしよう。

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