見出し画像

ギャル=黒人文化

『ギャル文化は黒人文化の亜流』という自説がある。

ギャル文化とは95年頃に発祥したとされているが、その初代カリスマであり実質的な始祖は安室奈美恵だ。彼女のスタイルに影響を受けた若い女性たちが、ギャル・ファッションの基盤をつくったとされている。

ではその安室奈美恵は何に影響を受けたのかというと、ジャネット・ジャクソンである。もともとは女優を志していた彼女は、タレント養成所で観たジャネット・ジャクソンのMVによってブラック・カルチャーに開眼したのだ。

初期のギャルのルックの特徴は、厚底ロングブーツ、日焼けサロン、染髪、ヴィヴィッドなメイク、ヘソ出し、眉毛を全剃りした上で眉を描く——などがあるが、これらは70年代リヴァイヴァルであると同時にブラック・カルチャーの影響を色濃く受けてもいる。たとえば日焼けサロンは端的に言ってブラック・スキンへの憧憬だ。誰でも知っている通り、黒はあらゆる色を際立たせる。宝石箱の内側に黒いビロードが張られているのもそういう理由だ。ヴィヴィッドなメイクはグレイス・ジョーンズを経由したアフリカ文化だし、眉毛を全剃りした上で眉を描くというのはジェームズ・ブラウンがやっていたことである(のちに描くのが面倒になったのか、刺青を入れた)。

さてギャル文化はいつしか安室奈美恵の影響下を離れて、かずかずの独自の作法や価値観をもつことになるワケであるが、その代表格に“盛る”というのがある。これはP-FUNKの情報過多感によく似ている。百聞は一見にしかず、こちらの写真をご覧いただこう。


画像1


これはP-FUNKの総帥、ジョージ・クリントンのご尊顔であらせられるが、いかがだろうか。“爆盛り”といって差し支えない見事な盛りっぷりではないか。これはもう誇大妄想とか陰謀論に近い話だが、僕は“盛る”というのは『どこかの女子高生が、P-FUNKの写真を見たこと』から始まっているのではないかと思っている。

それから“ギャル語”というのがあるが、仲間内のスラングがそのまま流行語になる。というのはビバップ時代からの黒人文化の伝統だ。“ギャル文字”はプリンスが『To』を『2』と綴るような、いわば書き文字のスラングだ。独自の言葉を生み出し続けるというのは、ブラック・カルチャーの属性といえよう。

“汚ギャル”は『ナスティ』の発露である。『ナスティ』とは下品であるとか、汚いであるとか、だらしないとか、えげつないみたいな意味なのだが、40年代のNYのジャズメンはこれを是とした。高級なスーツをヨレヨレに着るとか、食べこぼしのシミで汚すのがクールとされていたのだ(バスキアがアルマーニのスーツを着て絵を描いたのはこれがベースになっている)。『ヨゴレ』を一種の価値体系まで持って行ったという点において、ギャル文化とブラック・カルチャーは完全に共鳴している。ルーズソックスを見よ。あれこそナスティでなくて何なのだ? なによりルーズソックスは自然発生的なブームであり、巨大資本や広告代理店が介入していない。具体的な出自も明らかになっていない。ヒップホップと同様に、ストリートから誕生したものなのである。

さて、『ナスティ』の究極系ともいえるのが、本稿にて前述したP-FUNKであるが、そのメンバーであるブーツィー・コリンズは、なぜそんな派手な格好をするのかと聞かれて『寂しいから』と答えた。

このメランコリックに裏打ちされた過剰性を、僕はギャル文化からも感じる。ジャズやソウルで多用されるセヴンスやナインスのコードのごとき、切なさを孕んだ明るさだ。憂鬱と官能、ポジティヴとメロウネスとエロティークを一つにするというのはブルーズからの伝統であり、ギャル文化では浜崎あゆみがその代表格といえるだろう。

また、黒人文化の根幹には『イキリ』がある。楽器を買う金がなかったのでレコードプレイヤーを楽器として扱うとか、兄弟のお下がりのオーバーサイズの服を着るのを“いや、これがイケてっから”と言い張り、実際にイケてることにする強さというのは、初期のギャルが駄菓子屋で売っているようなオモチャの指輪などを身につけた流れに近い。

服飾文化的な側面からギャル文化とブラック・カルチャーの類似を論じたが、このふたつの最大の違いは音楽の有無である。ギャル文化には固有のサントラが存在しないのだ。ふつう、あらゆる文化は音楽と共に伝搬する。モッズもロッカーズもラスタもそれぞれ固有の音楽をもつ。V系にはグラム〜パンク〜LAメタルの系譜に連なる、耽美と退廃を孕んだ国文学的なロックがあるし、ヤンキーにも『何となくヤンキーが好きそうな音楽』というのがある。だが、ギャルには固有の音楽が存在しないのだ。これは極めて驚異的なことである。

『パラパラとかトランスとかあるでしょ』という指摘もあるだろーが、ギャルがパラパラとかトランスが好きというのは、『黒人は皆リズム感が良い』というのに似ていて、つまり半分は幻想や伝説ではないかと思う。もちろん安室奈美恵や浜崎あゆみなどのアイコンは存在するが、ギャル文化における共通言語としてのジャンル・ミュージックというのは、厳密にいえば無いに等しいのである。

そして、ギャル文化は常に刷新されている。たとえばロッカーズやパンクスやゴスロリというのは、身につけるアイテムがほぼ固定された、非常にかっちりしたカルチャーだが、ギャル・ファッションはより多岐的である。これはヒップホップに近いといえる。初期のヒップホップはいわばスポーティーなディスコ・ルックであるが、90年代に入るとオーバーサイズの服とハイカットスニーカーになり、さらに00年代後半からはパリコレと結びつくモードでラグジュアリーなスタイルになった(この立役者はカニエとファレルであろう)。ギャル文化もまた、こうした時代の変遷による更新がある。そしてヒップホップと同じく、過去へのリスペクトによるリヴァイヴァルがあり、中には不動のクラシックもある。ギャルにおけるルーズソックスと、ラッパーにおけるティンバーランドのブーツのポジショニングはほぼ同じではないだろうか? ギャル文化とブラック・カルチャーは歴史性と更新性を併せもつのである。


以上のような論拠から、僕はギャル=黒人文化の亜流、という説を唱える。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?