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中村彝の洲崎義郎宛書簡(4)肖像画の本質

 中村彝の洲崎義郎宛書簡、新潟県立近代美術館の『中村彝・洲崎義郎宛書簡』(1997)で大正9年9月20日の書簡ーこのブログ記事では同年2月20日ではないかと前回に提示ーに、彝が描いた洲崎義郎の肖像画について、曽宮一念が「この肖像画は…昨日僕が見た洲崎さんとは少しも似て居ない様な気がする」と率直に批判したことまで前回の記事で書いた。

 この曽宮の批評については、これまで様々な解説書の類で取り上げられることはあまりなかったように思う。それは、なぜか。
 それは、曽宮の批評とそれに対する彝の反応がやや混み入っており、この作品への評価や解説を単純化できず、作品の質にうまくレッテルを貼れなくなるからではないか。

 洲崎義郎を描いたこの肖像画に、曽宮は「あの寂しい女性的な優しさがこの顔には見られない」と遠慮なく彝に疑問をぶつけてみた。
 顔が似ているとか似ていないとか、これは一見絵を描かない素人の批評のように見えるが(素人もそういうことを言うが)、肖像画の本質を考える上でこれは必ずしもそうではないのである。
 実際、それに対して彝は曽宮の言葉を否定しなかった。自分もその曽宮の言葉を聞いて瞬時に「涙の滲み」で眼が痛むのを感じた。

 「僕も亦その時、昨日見た君(洲崎)の眼を思い出して居たのです。そして…その幽欝と孤独の近因がどこにあったかを探し求めながら言い知れぬ悲しみに襲われて居たのでした。それで僕は(曽宮に)言いました」と述べ、彝の考える肖像画についてこう語る。(※「幽欝」は手紙の原文のまま)
 「肖像(画)は描く人の鏡のようなもの」で画家の心がモデルの心に投影して「それが又画面に写される」。「つまり実在が(画家の)心に色づけられる。なぜなら人の心は常にその接するものに従ってその色んな層を表すのだからあの人は結局かくかくの人であると限定することは出来ない。」
 しかし本当に偉大な作家は、「こちらの心を相手に投影する前に先ずその人の運命と性格とを深く洞察してそれに無限の同情と、敬畏とを持つものではなくてはなるまい」と。(※敬畏は手紙の原文のまま)

 そして彝はついに告白する。
 自分は以前から君の顔に「消す事の出来ない一種の悲しみがある」のを気にしていた。が、「描き出すや否や…君の顔に『かたく自己を信じ人間の《性と望み》とを信ずる血気な青年の生き生きした心』の躍る」のを見てしまった。実際それが彝にとってその時、彼に映じた洲崎の姿だったからだろう。
 すなわち彝は、洲崎の心に悲しみや孤独感があることを気にしながらも、また「真の人間的な接触を許されない」彼の運命を「絶えず考えていた」にもかかわらず、眼前の洲崎の「愛焔が雄々しく燃えさかる勢い」の中で、「丸で牡牛の様な君」を描いてしまったと言うのだ。

 「真の人間的な接触を許されない」洲崎の運命とは何なのか、この書簡からは定かではない。が、いずれにせよ彝は洲崎の肖像を、悲しみが宿る人間としてではなく、堅固な信念と血気な「牡牛」のような青年としてここで表現しているのだ。しかしそれは決して「真の見方」ではなかったと振り返っている。

 「君の絶えざる悲しみ、君の慈悲の涙、生きながら葬られ勝ちな愛の苦しみは、おそらく君の一生を通して避くべからざる重荷でなければならない。そうでなくて何でこの様に、この間の一寸した君の沈み顔が、この様に僕や曽宮君やの心を打つ筈があろう。…今度君を描く時には、どうかして君のこうした一面を強く、はっきりと描き表し度いと思うのです。」

 「君の絶えざる悲しみ、君の慈悲の涙、生きながら葬られ勝ちな愛の苦しみ」とは、彝自身の心の中を思わせる言葉でもある。ここに彝と洲崎の心が重なり合うのを見る。だが、次にそうした肖像画が描かれる機会は遂に来なかったのである。
 
 
 

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