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大正14年『中村彝遺作展覧会目録』における作品所蔵者たち

 中村彝が亡くなった翌年の3月1日から15日まで標記の遺作展が画廊九段で開かれた。
 今日ではきわめて貴重なこの目録に印刷されている出品点数は66点であった。表紙には遺作展に相応しいということか、ペンで描かれた菩薩のような顔が見られる。彝の描いた素描だろうか。
 日動出版の『中村彝画集』に「没後の展覧会」という項目があり、74点(註)が出品されたことになっているが、これは、目録印刷後に出品が追加された作品を含む数字のようである。
 しかし、ここでは取り敢えず印刷された目録の内容を見ていこう。
 今日とは違い展示された作品の画像がないので、この目録から正確なところがわからないことも多い。しかし、ここでは、珍しく所蔵者名が明示されているものがかなりあるので、この目録は、作品の来歴を辿る上で、かなり貴重である。作者没後間もない記録という重要性もあって、純正な作品に辿り着く上で欠かせない価値を持つのである。

 よって以下、所蔵者別に記し、今後の研究に資するものとしたい。

<今村氏>
4 巌

7 海辺の村

9 女

13 静物、大正3年作

14 静物

24 ダリヤ

34 裸体

52 エロシェンコ氏の像

58 女、大正10年作

61 朝顔

65 老母像

<洲崎氏>
10 ダリヤ

27 大島風景

28 大島の椿

29 静物

30 静物

35 苺

37 ダリヤ、パステル

38 鳥

40 平磯海岸

41 平磯

42 目白の冬

45 庭の雪

46 洲崎氏の像

47 自画像

54 庭園

55 庭の一隅

57 静物、パステル

<伊藤氏>
11 ステーションの雪

12 友の像

15 少女裸像、大正3年作

19 少女

22 裸体習作、デッサン

26 大島風景、パステル

33 庭の一隅、パステル

51 水浴の女、Inspir' de R. ※

53 椅子に寄れる女

<相馬氏>
3 曇れる朝

21 ヒヤシンス

以下は、本展では1点のみの出品者

<相澤氏>
18 苺

<吉田氏>
23 静物

<菊地氏>
25 静物

<二瓶氏>※※
31 女の像

<田中館氏>
32 田中館博士の肖像 

<高橋氏>
39 シスレー筆風景模写

<井野氏>
48 ダリア

<薄田氏>
64 向日葵

<福原氏>
66 静物、絶筆

 所蔵者名が記されていない作品は、以下のとおりである。
  1 雪、明治41年作
  2 自画像、明治42年作
  5 自画像
  6 肖像、明治43年作
  8 顔
16 少女習作
17 少女の顔
20 自画像
36 静物
43 画室の庭一、パステル
44 画室の庭二、パステル
49 男の顔
50 自画像
59 静物画稿一、大正12年作
60 静物画稿二
62 静物
63 頭骸を持てる肖像、未成、大正12年作

(註)追加された作品は、「静物」友野蔵、「庭の一隅、鳥カゴ」武蔵野銀行蔵、「静物」野坂蔵、「静物」パステル 小熊蔵、デッサン二枚? 所蔵者不明、「自画像」渡辺蔵、「静物」川崎蔵のようである。

※上記の目録で51番「水浴の女」は小品で、その目録に「Inspir' de R.」とあるのは、もちろんん"Inspiré de R."のことで、そのR.とは彝が大きな影響を受けたルノワールのRではなく、ルーベンスのRである。
 具体的にはプラド美術館にあるルーベンスの「三美神」を指している。彝はその複製画の左端部にいる裸体のポーズから触発されてこの小品を描いたのである。しかし、その筆法はルーベンスの忠実な部分模写というより、むしろルノワール風の自由な流動性が目立っている。
 この作品は、ちょうどルノワールの没年である大正8年(1919)に描かれたので、先の"R"をルノワールと解して、私はかつて小著『中村彝の芸術』(上・下)(筑波書林、1991)の中でルノワールへのオマージュ的な作品ではないかと過剰な解釈をしてしまった。
 それについては、既に紀要論文でも訂正したことがあるが、このWeb上においても訂正しておきたい。

 ※※二瓶氏とこの記事で示しているのは、二瓶徳松のことである。文献によっては二瓶等とも記されている。鈴木良三によれば二瓶等は8号の俊子像を購入している。8号の俊子像には『現代の洋画』(No.10)1913年1月発行で「習作」(明治45年作)と称されているの、1953年「四人の画家展」で「婦人像」(No.10)とされているもの(この作品は1953年の後、出品歴が知られていない)、『中村彝画集』(日動出版部)1984で「少女」(目録No.39)とされているものがある。なお同書では前出の「習作」も「婦人像」も、「少女像」としている。もし良三氏の記述の通りなら、これらいずれかの作品が、二瓶が彝から購入した「女の像」かもしれない。また、俊子像ではないが、明治44年の8号作品には「女」がある。

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