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「価値のある時間」だけ動く時計

忘れられないボイスドラマがある。

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高校2年生のときだ。一度だけ、放送部の全国大会に行くことができた。放送コンテストには、個人で出るアナウンス部門、朗読部門に加えて、チームで作品をつくる部門がある。

その一つにラジオドラマ部門というのがある。ラジオ、つまり声だけでストーリーを演じるものだ。

その中で、小さい頃窓ガラスに貼ったシールみたいに脳裏に張り付いて剥がれない物語がある。

登場人物は2人だけだ。高校生の女の子と男の子。その世界の人たちはみんな、「価値のない時間を過ごしてしまうと進んでしまう時計」をつけている。

正確には覚えていないのでこんな感じだっただろう、という捏造なのだけど、男の子は放課後よく木陰で寝そべって本を読んでいた。女の子は勤勉で、放課後も「時間がもったいない」と一心不乱に試験勉強をしていた。

何があったか、とにかくこの2人の男女が出会うんだな。そして女の子が男の子に尋ねる。

「そんな価値のない時間を過ごして、もったいなくないの?」

男の子が答える。

「価値がないかは僕が決める。僕の時計見てよ、動いてないでしょ。」

何それ意味わかんない。女の子は自分の時計が動いてしまっているのを確認して、無駄な時間を過ごしてしまったわ、と踵をかえす。

それからなんやかんやあって、そこは全く覚えてないのだけど、女の子は男の子と過ごす時間が多くなる。

男の子が言う。

「自分の時計みてごらん」

「あ・・・」

女の子の時計は、男の子と話す時間、動かなくなった。

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聴き終わった時、鼓動が早くなったのを覚えている。

その時の私は焦っていたのだ。高2になってから成績がガクッと落ちた。部活なんてやってないで勉強しないといけないんじゃないか。そんな時に聞いたこのストーリーは、私の心に、高分子吸収体のように染み込んだのだった。

その作品は優秀賞を受賞した。

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「生きている実感」というのは「自分がその時間に価値を感じているかどうか」なのかもしれない。

一昨年くらいまでの私は、研究をしていないと「生きて」いなかった。大学院生なのだから、極端に言えば、研究をしていない私は価値がないと思っていた。ともすればお風呂にゆっくり入る、ご飯をゆっくり食べる、そういう「暮らし」に必要な時間すら「無駄」と思って削ぎ落とそうとしていたきらいがある。土日も何か研究に関わることをしていなければ心が落ち着かなかった。遊んでいても、「こんなに遊んでる暇があったら研究しないといけないんじゃないだろうか」と心の隅で思ってしまっていた。根本的にスイッチの切り替えが下手なんだな。

身体のあちこちを壊してから気づいたのは、休む時間は無駄ではないということだった。人生、多少無理をしなきゃいけないがんばりどきはあるかもしれないが、それはずっと続けられない。それからだった。私がきちんとしたご飯を綺麗なお皿に盛り付けたり、湯船にゆっくり浸かる時間を作ったり、睡眠時間を削って栄養ドリンクで誤魔化すようなことをしなくなったのは。食べる、寝る、誰かと話す、そういう「暮らし」を仕事に飲み込まれないように意識する。そしてその時間を充実した気持ちで過ごすことは、私の人生にとって価値のあることなんだ。


この記事を書く間、きっと私の時計は止まっていただろう。



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