見出し画像

初めて「伝わらないこと」に泣いた日

高校生のときから、とにかく英語に苦手意識があった。

数学のような秩序の世界が好きな私にとって、例外の多すぎる英語はもはやストレス。なにこれ、全部覚えなきゃいけないの…?英単語テストは赤点ギリギリで乗り切った。


そして何故か語学で有名な大学に入ってしまった私は、能力別クラスで一番下だった。

突然得意にはなれないけれど、「苦手意識」だけはどうにかしないとと思い、まず英語の絵本を読んでみる。プーさんとか。本当はシャーロックホームズが読みたかったけどミステリーは語彙が難しすぎて無理だった。しかしそれも長続きしなかった。


結局、英語を喋らなきゃならない環境に荒療治に行くしかない…!と、アメリカ短期留学へ行ったのだった。大学1年の終わりのことだ。


学校のプログラムで行ったので、いろいろなオプションがついていた。そのひとつがペンパル制度だ。

留学に行く前から、現地の学生とメールのやりとりができた。英語を話す友達ができた。

現地に行って何日が経った頃、1人のペンパルがお家に招待してくれた。日本人何人かと、ペンパル、ペンパルのお友達も呼んでパーティーのようだった。みんなでお菓子を食べたり、ジュースを飲んだり、映画を観たりして過ごした。

そのころ私はミルクティーにハマっていたんだけど、「ミルクティー」はアメリカに無いことがわかった。午後の紅茶ミルクティーが恋しかった。

ちなみにそのとき観た映画は「ピッチ・パーフェクト」だった。何年か後に飛行機で字幕で観て、やっとストーリーがわかった。

帰り際のことだった。

私のペンパルが私に向かって何か短い言葉を発した。もうその言葉は覚えていない。

3回くらい聞き返した。

それでも意味がわからない。

仕方ないから、私よりも英語のできる日本人の友達に聞いたら、「楽しかった、気をつけて帰ってね」みたいなことを言ってたよ、と言った。


なぜかそこで私は泣き出してしまったのだった。

緊張の糸が切れたのと、そんなことも聞き取れないのか、という絶望と、なんかそんな気持ちだった気がする。

そんな私をペンパルがそっと抱きしめてくれた。言葉はなかったけれど、慰めてくれているのが分かった。

「言葉が違う」

その圧倒的な「伝わらなさ」を経験した。

ミルクティーはないし、お茶は甘いし、海苔巻きは反対巻きだし、うどんの汁は酸っぱい。

そんな文化の違う国では「察する」ことなどできないし、言葉にしたところで伝わらないこともある。

(今では、言葉が同じでも、伝わらないことの方が普通だと思っているけれど、それはまた別の話。)

その出来事があってから、短期留学が終わるまで、なんとかペンパルの言っていることを理解しようと必死に聞き取りや聞き返しをした。漫画の話をしたり、おすすめのケーキ屋さんの話をしたり。帰国する頃には一言二言はスムーズに受け答えができるようになった。

分かったことは、「英語を」理解しよう、得意になろう、と思っていたことが違っていたということだ。英語を話す友達ができれば、友達を理解しようとするために英語を理解しようと思うのは必然と思う。さらに、その英語の背景にある文化も。


大学院に入って、隣の席だったのはベトナム人だった。最初はアメリカ人とは違う英語の発音に戸惑ったが、聞き返したりシチュエーションで理解したりできた。(逆によく私のジャパニーズイングリッシュを理解してくれたと思う)

アメリカでの経験があったからか、不思議と気後れはしなかった。その後研究で出会った外国人たちとも、なんとか(本当になんとか)コミュニケーションがとれた。

もちろん英語のスキルを向上させようとは頑張っているけれど、それは目的のなかった高校時代とは違い、「友達や同業者と話したいから」だ。

結局コミュニケーションは相手ありきなんだなあ。と改めて思った。



・・・リハビリがてらつらつら文章を書いてみたけど、だいぶんありきたりなまとめ方になってしまった。まあいいか。


サポートは私の執筆時のおやつになります。よろしくお願いします。