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ずいぶん痛い

「それくらい我慢しろ」と言われても、痛いものは痛い。子どもの頃、転んで膝を擦りむいて、泣いていたらそう言われた。「それくらい」はどれくらいだろう。どうして他人がわたしの痛みを判断して「我慢できる」か「我慢できない」かを決めるのだろう。

「みんなも痛いの。だから我慢しようね」と言われたこともある。痛い人がいっぱいいて、その中でもいち早く手当が必要な人から助けていかないといけないのならば、「まあ、わたしはもう少し我慢できるかな」と思うこともあるだろうが、「みんなも痛いのだから、あなたも我慢して」はなんとなく「?」である。

さて、昨日からずいぶんと痛みが増してきたので、わたしは病院に行った。体を動かしたり、息をするだけでも痛む、と整形外科で言うと、レントゲンを2枚撮られ「これはなんか気持ち悪いなー。行きつけの内科はどこかある?」と聞かれた。「肺のここんとこがね、モヤッとしてて、スッキリしないんだよねー。これは専門家に見てもらったほうがいい。骨じゃなさそうだし。」まじか。わたしは内科に向かった。

大ごとになったらどうしよう、とビクビクしていたら、検査好きの先生が「CTを撮りましょう」とニコニコ顔だ。痛みは増していくばかりで、ハイと頷くしかない。

「じゃあ、画像を見ながら説明していきましょう!」どこまでも明るい声で先生は言った。「あなたの肺、これはね、完璧。きれいです。それから、膵臓、脾臓、肝臓、どれも知らん顔しています」知らん顔か。この痛みには関係ないよ、ということだろう。「胃も、腸も、腎臓もみんな知らん顔」そうですか。「しかしね、ここ。ほら、見えますか。胆嚢結石がありますね。ギッシリ。そして、ギュッと収縮している状態」いや、わたしはそんなところが痛くはないんだが。

「痛いのは左の脇腹から背中にかけて、なんですが」と訴えてみた。「うーん。そうだねえ、ちょっと違うのかな。でも、可能性としては、これしかないんだよね。明日、血液検査の詳細が出るので、それまで絶食しててね。水とお茶は飲んでいいから。とにかく、食事を摂ると、胆嚢がギュッと収縮するんですよ。そしたら痛みが増す可能性がある。だから今日は食べないで」

家に帰ってオットに説明したら、「胆石を取ってもらえ」の一点張りだ。そして「どうせあれだろ、骨でも内蔵でもないってことは、肉離れかなんかだろ」と言う。「痛い痛いってうるさいから、寝室に行って寝てろ。うるさいわ」とな。

一応、通訳すると、オットが言いたいのは「目の前で痛い痛いと言われても、俺がどうしてやることもできないから、辛いんだ。だから俺の目の届かないところにいてくれ。そしてたっぷり寝て、早く治してくれ」みたいなことなんだが。

病気の時に一番痛いのは、身内の冷たさだと思う。



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