見出し画像

待ち合わせ力

この記事を読んでみて欲しい。この方の、軽妙ながらも情熱的な文章と、草の根をかき分けてでも真相を究明しようとする姿勢が素晴らしい。

わたしがこの記事を読んで思ったのは「子どもたちに、ケータイやスマホを頼らずに待ち合わせできる能力があるか」ということだ。

今日の昼過ぎ。「今日は外食しよう。19時に予約した」とオットが言った。ムスメは15時からの友だちとのクリスマスパーティに浮かれて出かけて行った。いやな予感がしたが、オットもわたしも「電話を持って行きなさい」とだけ言った。18時半には家に戻れ、とか、電話に出られるようにマナーモードを解除するように、とか、もっと具体的に連絡の取り方を伝えておけばよかった。

一方、わたしは18時からお通夜に参列する予定だった。斎場から予約の店までは歩いて10分もかからない。19時までには終わるだろうから、その後、店で合流する、とオットに告げて、17時には家を出た。

18時40分になってもムスメは帰ってこず、オットが電話をしても出なかったらしい。わたしは19時にお通夜が終わってオットに「今終わりました」とメールしたら「帰って来ず。電話に出ず。キャンセルする」という返信が来た。わたしは斎場から電話をしたが、オットは出なかった。

ムスメに連絡をしたら、家に帰っても玄関を開けてくれなかったと言う。それで、友だちの家で待たせてもらい、わたしと一緒に帰った。さてどうするかと思っていたら、ムスメはそのまま二階に上がり、オットとは顔を合わせようとしない。

オットはといえば、わたしが明日のために作っておいたカレーを温めていた。「外食の予定だったから、ごはんまだ炊いてないよ?」と言ったら、「かまわん。パンでいい。」と言って、自分だけさっさと食べ始めた。

そこで思い出したのが、冒頭のnoteの記事である。ケータイがなかった頃のスリリングな待ち合わせの状況を丁寧に説明してある。あの「遅れるわけにはいかないタイミング」をブンブンと首を縦に振りながら読んだ。あの体験をしたことがない子どもたちは、「もしも」の時に弱いんじゃないか?ケータイがない時代でも「もしも」に弱い人はたくさんいただろうが、「こんな時はこうした方がいい」という経験上の知恵を得る機会がたくさんあった。しかも、その時代を生きていたオットやわたしでさえ「もしも」に弱くなっている。

もちろん、待ち合わせに遅れたムスメはよろしくない。でも、電話があるから、と油断したわたしやオットにも落ち度があるのではないか。「18時半には帰りなさい」と念押しすればよかったし、友だちの家はどこか聞いておけば、迎えに行って、クリスマスパーティの楽しい時間が全て帳消しになるくらいのダメージを与えることもなかった。

ムスメは二階から降りて来て、小一時間ほどじっと立っていた。シクシク泣いていたが、やっと「ごめんなさい。あわてて出て行ったから、時間を忘れてました」と言って、返事もしないオットをじっと見て、二階へ上がった。夕食は食べなかった。


サポートいただけたら、次の記事のネタ探しに使わせていただきます。