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エア猫飼い

猫はかわいいと思う。猫は嫌いではない。が。飼っているわけではない。

この夏、わたしは無心になって草を抜いた。地下茎があまりに頑丈なので、スコップでザクザクと根を切りながら、掘り返して行った。気持ちよく抜けるので、面白くなって庭のほとんどからヨモギとミントを排除した。

するとどうだ。庭土が顔を出した。真砂土なので、乾くとサラサラになる。そこに目をつけたのは猫だ。これまでミントやヨモギを嫌ってか、庭には猫が足を踏み入れることはなかった。庭は猫にとって格好のトイレになった。

朝、気持ちよく起きても、庭を見るとげんなりする。こんもりと小さな山が二つ見える。掘り返して中身を取り出す。きついニオイにイライラしながらゴミ袋に取り除く。猫よけのトゲトゲした網を置いてみたが、掘り返されてスルーされていた。わたしの朝は、猫のトイレ掃除が日課になった。

寝転んで愛らしい姿を見せてくれたり、足元にまとわりついて愛嬌を振りまいたりしてくれるなら愛着もわくだろうが、わたしが目にしているのは排泄物だけである。猫そのものは、どんな姿でどんな性格なのかも知らない。エア猫だ。餌を与える必要はないが、出すものを始末しなければならない。その猫がどんなにかわいいか知らないが、出すものはかわいくない。野良猫か、どこかの飼い猫かもわからない。

これが人じゃないだけマシか、と考えてみる。そういえば、幼稚園の帰り道、駄菓子屋のちょっと手前で、友だちが「まって」とわたしの足を止め、「いえまでがまんできない」と言って溝に跨った。本当に我慢できなかったのだろう。一連の行動は流れるように進み、わたしはただ呆然と見ていた。

たいへん立派なものを一本致した彼女は、ポケットティッシュでサッとお尻を拭いてブツに被せた。彼女は「こうしておけば、ねこかいぬだとおもうよね」と言って足取り軽く家路についた。いや、これは人だと証明している、とわたしは思ったが、「そ、そうだよね」と同調して逃げるように帰った。

あの時の駄菓子屋のおばさんの気持ちが、今はちょっとわかる。道に落ちている犬のそれとはまた違う気持ちになったはずだ。

明日の朝もまた見知らぬ猫の後始末をするのかと思うと憂鬱だ。この台風にくじけて来ないでもらえたら、と思う。

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