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noteを休んでいる間に

しばらくnote更新を休んでいた。最初は不可抗力というか、理由があって、更新を1日飛ばしてしまった。そうしたら、その翌日からnoteの優先順位が後回しになり始めた。一日の終わりに「あっ、note更新してない!」と思って、残り15分でも必死に書いていたひと月前が不思議に思えるくらいだ。

疲れていたのだ。書くことに、ではなく、生活に。自分一人では管理しきれない家族のあれこれ。今年の春からずっとずっと、わたしは「夏休みのオカン」と化しているのだ。子どもは学校に行くので少しはマシだったが、すでに冬休みになってしまった。

「いつまで寝てるの!」「じゃま!そこどいて!」「それくらい自分でしなさい!」「またシャワー浴びるの⁉︎」「ごはんだよ!」「ごはんだって言ったでしょ!」「お箸くらい出しなさい!」「お箸だけじゃなくて、お茶碗を出すとか、もっとやることがあるでしょ!」「食べたら食器を下げなさい!」「おふろ洗ったの!?」「おふろ洗って!」「脱ぎっぱなしにしない!」「上がったらおふろのフタは閉める!」「バッグの中に洗い物はないの!?」「水筒出して!」「もう塾の時間だよ!」「時間だって言ったよね!」「その動画は何分後に終わるんですか!?」「まだ着替えてないの!」「まさか今からまたシャワー浴びたりしないよね!?」「髪から水が落ちてる!」「床がビショビショじゃないの!」「早く行きなさい!」「忘れものないよね!?」「いつまで起きてるの!」「歯磨きしたの!?」「いい加減寝なさい!」「寝床にipadを持っていかない!」「はいおやすみ!」

くだらない話で恐縮だが、わたしは来る日も来る日も、朝から晩まで子どもに同じ言葉を叫び続けている。つまり、のれんに腕押し、ぬかに釘、馬耳東風。全く響いていないし、学習していないわけだ。意味のないことをわたしは毎日叫び続けている。

この虚しい日々で、何をnoteに書けばいいというんだろう。わたしはパソコンに全く向かわなくなった。パソコンに向かわない時間に何をやっていたかというと、ずっとTverとwowowとアマゾンプライムとYouTubeを観ていた。ソファに寝転んで、握ったスマホで数独を解きながら、ずっとモニターに映るドラマやバラエティや映画を見ていた。そうやって、だらしない感じで充電をしていた。わたしはもぬけの殻になったような気分で、もしかしたら充電のつもりが放電だったのかもしれない。

snsもnoteも放置していたら、友だちから電話がかかってきた。「noteの更新もsnsでも見かけなくなったからLINEしたけど既読にならなくて、心配になって」と、言われて、自分がLINEもすっ飛ばしていたことに驚く。

noteを毎日楽しみにしていたよ、と言われてさらに驚いた。なんだか田舎のおばあちゃんに、今年のお正月は帰ってこないのかいと言われたみたいな気持ちになった。約束してないのに期待してくれていたのかと、嬉しくも切ない小さなショックを受ける。

そして、さっきニュースで今年の年末ジャンボの当選番号が発表されて、えっ、もう明日が新年だっけ?と思っていたら、紅白歌合戦が始まった。頭の中はまだ、なにもまとまらないままだ。コロナはわたしが気付かないうちに、わたしを今年の途中から、全部置き去りにしている。もう明日から2021年で、わたしにはまだその心の準備ができていない。

テレビで、どんなに切なくても必ず明日はくる、とさだまさしが歌っている。

ジタバタしても仕方ない。
潔く、新年を迎えよう。前向きに。

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