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DUNE

「砂山」という歌が好きだ。好きなのは、山田耕筰ではなく、中山晋平の方のメロディ。

小学校1年生で同じクラスになった久美子ちゃんが「うちに遊びにおいでよ」と誘ってくれた。久美子ちゃんは一人っ子で、わたしが持っていないものをたくさん持っていた。

「レコード聞く?」とかけてくれたのが、天地真理のテニスコートで恋人を待つ歌だったと思うが、わたしがそれをあまり興味なさそうに聞いていたので、お母さんが「こっちはどう?」とかけてくれたのが、どこかの少年少女合唱団の「砂山」だった。胸がぎゅーんと苦しくなるような気持ちになった。もう一回聞いてもいい?もう一回聞いてもいい?と三度も四度も聞きたがるわたしを久美子ちゃんは「も〜!こっちを聞こうよ」と言って遮った。わたしはつい「歌謡曲はあまり好きじゃない」と言ってしまって、気まずい雰囲気になった。

なぜその時「砂山」に、あんなに感激したのだろうか。今の若者なら「エモい」と一言で済ませるんだろうけれど、「言葉で表現できない」という感覚がそこにあった。合唱団が歌うメロディに、しんみりとした気持ちになって、打ち寄せる波の向こうから日が暮れていく情景を思った。空には星がちらほらと光り、子どもたちはもう帰ってしまって、そこには誰もいない。

ただ、そのときに地理に疎いわたしは「向こうは佐渡よ」という歌詞なのに「砂山」というタイトルだけで、これは鳥取砂丘の歌なのだと解釈した。小学1年生で鳥取砂丘を知っているはずはないので、もう少し年をとってからそう思い込んだのかもしれない。

実は、「砂山」をレコードで聞いたのは、後にも先にも、その時だけだった。次に久美子ちゃんの家に行った時、「あの曲が聞きたい」と言ったら、「それよりもさ、こっちで遊ぼう」と別のおもちゃを出されて、断念したのだ。大人になって、ネットで検索したらヒットしたので聞いてみたら、あの合唱団の曲とは似ても似つかぬ電子音のメロディにがっかりした。さらに大人になって、石川さゆりが歌う「砂山」を聞いて、ようやくこれだと思った。

毎晩夜泣きするムスメをなだめながら、子守唄を歌った。「砂山」と「島原の子守唄」と「椰子の木」が定番になった。その話はまた今度。




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