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おめでと

今朝。目が覚めて、うーん、と伸びをしたらムスメの手に触れた。ムスメはうつ伏せで、下半身と上半身が異様にねじれた状態で寝ていた。顔はアホっぽく口が半分開いている。おい。君は今日から16歳だぞ。JKだぞ。いいのかそれで。

わたしはムスメの手のひらに人差し指を置いた。ムスメの手のひらの真ん中に、わたしの人差し指はくるりと包まれた。ぎゅ、と握ってすぐにハラリと解けた。

16年前のあの日、病室でNHKの朝ドラを見ていたら、会社の後輩から電話がかかってきた。「お久しぶりです!お元気でしたか?今どうしてるんですか?」と明るい声が聞こえた。「わー、ゴメンゴメン、ゆっくり話したいけど、出産でこれから手術なんだわ」と答えたら「はい?出産ですか?ワッハッハ。先輩らしいですね」と笑われて、そのおかげで緊張がほぐれた。

ストレッチャーに乗せられて、寝たまま部屋を出る。オットとその両親から見送られ、手術室の前室に入った。すると、両脇から現れた若いお医者さんたちが、まるで漫才のコンビのように「麻酔科の田中でーす」「同じく麻酔科の山下でーす」「よろしくお願いしまーす!」と、声を揃えて言った。

手術室に入ってびっくり。インターンだか学生だかが、ずらりと並んでいる。わーこの人たちにわたしの内臓を見られるのか。

麻酔は腰から下だけで、意識はある。産科の先生が全員に、「それでは、始めます」と声をかけた。「メス!」とか言うと思ったら、そんなことは言わず「はい、じゃあ開きますよー」とわたしのお腹をサッと開いたようだ。胸のところに仕切りがあって、わたしの位置から下半身は見えないが、学生たちが覗き込むところは見えた。「はい、数えるよー、1、2、3、4、5、」と声がする。切ったところにガーゼを入れて、血液を吸い取っているようだった。最後に、入れた数だけガーゼを取り出す必要があるから、ということだろう。

はい、もうすぐ赤ちゃんが見えてきますよー、と声がするが、わたしからは見えない。学生たちがさらにグッと顔を近づけてくる。「あと少しでーす」「あ、見えました。赤ちゃん、もうすぐ出ますよ!」と少し興奮気味の声がして、取り上げられたムスメが「あーあーあー」と泣いた。おお。帝王切開でも声を出して泣くんだな、と思った。

わたしの体内から引っ張り出されたムスメは、臍帯を切るとすぐに小児科医に手渡された。体重を測り、身長を測ると、小児科医は「はい、では確かにお預かりします!」と言って部屋を出ようとした。

「待って!」と声を上げたのは、助産師さんだった。彼女は「このまましばらく会えないんです。お母さんに触らせてあげてください!」と、大きな声でキッパリと言ったが、小児科の先生はムスメを抱いたまま、絶対に離さなかった。しかし、わたしの左手の人差し指の先に、ムスメの手のひらを乗せてくれた。血色の悪いその手はまだ濡れていて、水の中に落ちたもみじの葉のようだった。わたしの人差し指に手のひらから指先まで、全部乗った。こんな小さくて生きていけるのか?と思った。まだ目も開かない真っ赤な顔で、ムスメはおとなしく小児科医に抱かれていた。わたしは指先にムスメの手のひらを乗せたまま、前夜にオットと決めた名前を呼んだ。

「もうよろしいですか?処置を急ぎますので」と言い、小児科医はバタバタと出て行った。産科医は「では、閉じましょう」と言い、麻酔医が「息苦しくなったら教えてくださーい」と明るく言った。はい、ガーゼ抜くよー、数えてー、はい、1、2、3、4、5、と、声がした。わたしは息ができません、と言って、「わかりました。減らしてー」と麻酔医の声を聞いたところまで覚えている。その次の瞬間、わたしは手術室に近い部屋で目が覚めた。

そのままICUに運ばれ、ムスメに会えたのは3日後だった。とにかく、怒涛の日々がそこから始まった。16年も続いている。

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