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ざつだん

雑談に救われることってある。本当にびっくりしたのだけれども、先日見たお芝居のプロデューサーであり、演者でもある人に、職場でばったり会った。「あれ?あなたもしや…。」「はい、そうですけど。」「わー、先日、お芝居見ましたー!」「それはありがとうございました」

その人は、「はい」と振り向いた時と、お芝居を見に行きました、とわたしが言った時と、テンションが全く変わらなくて、本当に肝が座ってるんだなと思った次第。いや、本人はそういうつもりはないだろうけど、わたしにはそう見えた。淡々と、でもすごく真摯に向き合ってくれる。

それでしばらく、立ち話をしたのだけれども、その人と話しながら、わたしはただただわたしの話を聞いてくれるその人に感謝した。行動そのものとしては、わたしはお芝居の感想を言ったり、質問をしていたりするのだけれども、並行してわたしの心は受け入れてもらったり、ヒントをもらったりしていたのだった。

癒された。誰かに否定されず、自分の意見が自由に言えて、明日の自分の立場に不安を感じなくて済むことって、こんなに心を緩めてくれるのか。

わたしは、喉元まで詰まっていたつかえがスポンと抜けたような気がした。わたしを押さえ込んでいた問題とは全く無関係の雑談なのに、癒され、開放され、かなり楽になったのだ。

話すって、大事。他者とのコミュニケーションって大事。人に傷つけられたり、自分が誰かを傷つけたりするのも言葉なんだけれども、癒されたり、支えられたりするのも言葉だ。今さらながら、そう思う。


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