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あつぎり

羊羹は厚切り派である。本当ならガツガツいきたいところだが、やはり人前ではそれはできず、皿に乗った羊羹を黒文字で切り分け、おしとやかなフリをして食べる。

わたしには羊羹運がない。何人か集まって羊羹を切り分けることになったとする。必ず、厚さにばらつきが出る。そしてわたしには必ず、一番薄いものが配られるのだ。これは不思議なことだが、必ずそうなる。そして、「甘いものがあまり好きじゃない」と言う人がなぜかいちばん厚いものを手にし、三分の一も食べてないのに「残していい?もう甘すぎて無理」とか言うのだ。食べ残して捨てられる羊羹がしのびない。ある時、切り分けた人が包丁を斜めに入れてしまい、わたしの羊羹は皿に立たなかった。そして、斜めに削ぎ落とされた部分は、甘いものの苦手な人の羊羹にくっついて、どっしりとした台形になっていた。その人は一口かじって「すでに持て余している」と苦笑いをした。わたしは自分が口いやしいと自覚しつつ、その人に向かってなんと言っていいかわからず、「がんばれ」と声をかけた。

ハタと思い返してみたら、わたしにはケーキの切り分けも、ピザの切り分けも、同じだった。お腹が空いているときは特に、いちばん小さいもの、いちばん具の少ないところがやってくる。お菓子だけではない。肉もパンも同様だ。羊羹運ではなく、切り分け運がないのだ。そして必ず「わっ、大きい!こんなには食べられないよ〜」と困っている人が目の前にいるのだった。

では、切り分けないものだったらいいのか、というと、これまた運がない。運ばれてくる料理の「盛り」の良いものは自分には来ない。それだけではなく、頼んだものが来ない場合もよくある。みんなで行ったファミレスで、わたしのドリアだけは最後まで出て来ず、ほとんどみんなが食べ終わった頃に「お待たせしましたあ」とやってきたが、チーズがほとんど乗っていなかった。外食して、髪の毛や虫が入っている確率も他の人より高い気がする。フォーに青虫が入っていたこともあるし、去年入院した時は病院の給食に羽虫が入っていて、「ここでもかー!」と自分の運のなさを恨んだ。

なんとなく、厚く切った羊羹を食べたいなあと思って書き始めたら、自分はいつも食べ物のことで「とほほ」と思っていることに気づいた。いや、運がないのではなくて、わたしは食べ物に対する執着心が強くて、他の人よりも気にしやすいのかもしれない。要するに、食い意地が張っているのだ。そのくせ「それ好きだから、大きいやつをわたしにください」と言う勇気はなくて、うじうじと「小さかったなー」とか言っているのだ。いやあ、みっともないことである。人間の器が小さい。

次に羊羹を切り分けてもらう機会があったら「一番厚いやつをください」と言ってみるか。自分の中ではウケても、きっとその場にいる人たちには「なんだこいつ」と思われるだろう。だから言わないと思うが、それでもわたしの中では「羊羹の厚切りが食べたいと訴える自分」を想像して、ニヤニヤしながら薄切りの羊羹を食べるんだと思う。今さらながら、そうやって大人の階段を昇るのだ。うん。

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