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かたぼう

LINEに着信があった。骨折して入院している友人からだった。何事かと思ったら、「お願い!これを2つ買ってきて、病院の受付に預けて欲しいの」と写真が貼ってあった。

箱ワインだった。入院患者にアルコールはご法度のはず。「中身が見えないようにして持ってきてほしい」と念押ししてある。

いや待て。ムリっす。ありえまへん。

わたしはルールを破る片棒を担げと頼まれている。それは嫌だ。しかし、心のどこかで諦めている。「仕方ない。わたしが行かないとダメなんだろうな」と思い始めていた。ただ、本当に忙しくて時間がなかった。「すみません、今日は時間がなくて全く動けません。明日なら時間が取れると思います」と返事をしたら、詫びの返信が来た。「ごめんなさい、お忙しいのに。いいんです、無理なら」という内容だった。これは本人も「やっちゃいけないことをやろうとしている」という自覚があるのだ。

しかしまだ、わたしは考えていた。明日になったらわたしはワインを持って行くのだろう。嫌だけど、そうして欲しいと頼まれたら断ることのできない相手なのだ。

が、翌日、調子が悪くなって動けなかった。翌々日、連絡をした「時間がなくてやっぱり無理でした。お力になれずすみません」すると返信には「こちらこそすみませんでした」と書いてあった。

断ってもよかったんだ、と思った。断る自分を想像できなかったが、断ってみると清々しい。その人の希望を叶えてあげたいけど、それがいけないことだとわかっていて、実行するのはよろしくない。その判断ができてよかった。

その人はいつもワインを飲んでいる。ボトルの1〜2本はすぐに空けてしまう。飲むために生きている、と見えることもある。それだけワインが好きなのだから、長い入院生活で飲めないのも辛かろう。ただ、こっそり隠して持って行かねばならないところには、差し入れできない。

世の中いろいろな判断がある。ルールを守るだけが正解じゃないとわかっているが、今回は「ルール違反がダメ」なのではなく、「片棒を担がされるのが嫌だ」と思った。そこにわたしの心境の変化がある。わたしにはなんとなく、まだ伸び代があるような気がしてきた。なんの伸び代か?それはわからんけれども。

もちろん、その人のことは大切に思っている。だからこそ、言いにくいことを言えて、本当によかった。

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