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罪悪感

家族と別行動でおいしいものを食べる時、抜け駆けした気持ちになって、一瞬「すまんな」と思う。でもそのおいしそうなものを前に、いつまでもそんな罪悪感に浸ってはいられない。次の瞬間、わたしは自分が食べることだけに集中する。こんなことめったにないんだから楽しまなくては、と思う。

先日、部活動保護者会の役員たちと「任期満了お疲れさま会」があった。部活に行くムスメには自分の作った雑なドカ弁を持たせ、オットにはその残り物を詰めたお弁当を置いて出かけたのだが、自分は1,000円もするステーキ弁当を食べた。清水の舞台からダイブである。
「なんか、家族に悪いよね」と言ったら、「いいのよ、たまには。だってパパたちだって、ランチとか職場のつきあいとかで、外でおいしいもの食べてるんだから」とみんなが笑った。

実は、うちは違う。オットは2月からリモート勤務でずっと家にいるし、下戸だし、人づきあいが苦手で飲みに行ったりもしない。通勤していた時も、お弁当を持って行っていたので、外食はほとんどしていないはず。それがわたしの罪悪感の上塗りをしているのだ。

だからそんな日こそ、家では食材をちょっと奮発したり、一手間かけた夕食を用意する、となれば美しい話なのだが、外でおいしいものを食べると完全にやる気を失う。これはどういうわけだか、いつもそうだ。例えばお昼においしいものを食べたら、もう夕食は要らない。そのまま寝てしまいたい。満足しきった気分を大事に、一日を「ああおいしかった」で完結したいのだ。

嬉しいことは人に話したくなる。夕食のテーブルで、わたしの作ったみそ汁や卵焼きを食べているムスメに「お母さんね、今日はおいしいものを食べたんだよ」と言いたくなるのをこらえる。ムスメは「へえ!よかったね」と言ってくれるが、オットはいい気がしないだろう。ここでまた罪悪感が増す。

こんな気持ちになるくらいなら、最初から外食しなければいいのではないか、と思わんでもないが、やはり人づきあいというものは必要不可欠だ。

食べたいものを食べたい時に、自分の楽しみで食べていたのは、贅沢で幸せなことだったのだと今さら思う。

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