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えもいし

もう「エモい」も死語なんだろうか。今、琴線に触れるとかグッときたとか、そういう気持ち、なんていうの?

ここ1年くらい、殺伐としていた。仕事は忙しいし、ムスメは遅めの反抗期だし、オットも多忙で疲れきっているし。本当にクタクタの時は、音楽を聞いてみよう、という気持ちにさえならない。カラオケだって、元気がないと行けないし。美術館やギャラリーで絵を見ようという気にもならない。映画も見たくない。わたしの感性は干からび、感受性のかけらもない日々。自分の感情は全部スルー。どんどん無気力になっていく。

最近、ポッドキャストをよく聴いている。特に「安住紳一郎の日曜天国」の2007年からのアーカイブを聞いている。頭のよさ、感情の豊かさ、世渡りの巧みさ、バカバカしさ、微笑ましさなどが毎回こうも多様に現れるのかと感心する。気がつくと、時々わたしは笑っていた。いつの間にか、吹き出すことも増えてきた。

古いものから聴いて、今は2020年あたり。コロナ禍の真っ只中である。あの頃の閉塞感やモヤモヤとした気持ちを思いだす。番組では、コロナ禍で中止になった埼玉県高等学校男性合唱 合同演奏会の、2年前の録音「斎太郎節」が流れた。泣いた。高校生の本気で真面目な歌声に泣いた。

ポッドキャストでは著作権使用許諾申請とやらを行っていないために音楽は流れない。この合唱は、高校生が歌う民謡だから流すことができたのだろう。この「斎太郎節」をきっかけに、わたしは音楽が聴けるようになった。もっと音楽を聴きたいと思うようになった。そうしたら、今度は絵を見たくなった。本屋の一角でイラストレーターが作品展をやっていて、それをぐるっと見て歩いたら、カラフルな絵に元気をもらった。

錆びついた感情に音楽やイラストのエモさという油をさした感じ。まだまだギシギシと音をたて、滑らかには動かない感情も、それでも少しずつ動き出している。

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