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漆原氏がカイロプラクターになるまで

※ この記事は、下記プロフィール記事の続きです。

○ 怪我との闘いの日々だった学生時代

中学と高校時代、柔道部に所属していましたが、柔道を始めた当初から、膝や腰などあちこち怪我をするようになりました。

それからというもの、毎日接骨院へ通い、酷くなると整体へ行くという、怪我との闘いの日々が始まります。

トレーニングを積む他にも、良い治療家がいるという評判を聞いては治療に通うなど、思いつくことは全て試し、怪我をしにくい体づくりのために努力を重ねました。

しかし残念ながら、調子が良くなってきたかと思うと、またすぐに別の場所を壊すということの繰り返しで、状況は一向に進みません。

常に怪我をしているため、練習自体もなかかなか進められないという苦しい日々が、長い間続きました。

大学生になってからは、柔道部からレスリング部に種目を変更し、再びトレーニングやケアに取り組んでいきました。

けれども、やはりどんなに努力しても、怪我を繰り返す状況は一向に変わらず、次第に気持ちが追い込まれていくようになります。


このように状況が変わらなかった理由について、「カイロプラクターになった今ならよく分かる」と漆原氏は語ります。

例えば整体院に毎日通っている間、“骨を傷めている状態”に対して、電気とマッサージの治療をずっと受けていました。

しかし、その治療内容は、実際の体の状態に全く合っていないのです。

何故なら“骨を傷めている状態”というのは、骨がつまったりずれてしまっている状態なのに、そこに電気を当てたり、周囲の筋肉をマッサージしても、骨が動くことは一切ないからです。

こういった体の状態に対して適切ではない治療が、一般には多く行われていることに対し、「もっと体の仕組みを理解して患者さんを診るべき」と問題視しています。


○ カイロプラクティックとの出会い、そして転機

そうして、いくら努力しても状況が変わらず、大学2年生でレスリングを止めようかと考え始めた頃、1つの転機が起こります。

たまたま、後輩のお母さんがカイロプラクティックをやっているという話を聞いて、半信半疑ながら受けに行ったところ。

カイロプラクティックが他と大きく違ったのは、施術によって骨格を整える他、正しい骨格を維持するための食事・運動・睡眠にの取り方、つまり「維持療法」がありました。

指導された通りそれらに取り組んでいくと、驚いたことに、初めて怪我が減り始めたのです。

それまでは、指を少しひっかけるなどの僅かな衝撃でも、すぐに突き指してしまうため、怪我がなくても指全体をテーピングで必ず保護しておく必要がありました。

それが、カイロプラクティックを受け始めてから、明らかにテーピングやアイシングをする部位と頻度が減っていったのです。

大学時代、将来の仕事については、最初は柔道整復師かトレーナーになることを考えていました。

けれどもこういった経験から、自分も同じように困っている人達を助けたいと、カイロプラクターになることを決意しました。


○ 信頼されるカイロプラクターとして活躍する現在

漆原氏は部活を引退して早々、大学在学中からカイロプラクティックを学び始め、卒業と同時にカイロプラクターとしての活動を開始しました。

その後は、漆原氏の卓越したセンスにより、日々関わる患者の体を先生にしながら、人間の体についての新たな発見や、独自の技術を次々生み出し続けていきます。

その積み重ねにより、既存の概念や方法に全く囚われない、『ウルシ式カイロ』という独自のカイロプラクティックの手法が考案されました。

患者から絶対的に信頼されるカイロプラクターとして、現在までに多くの人々を健康へと導きいてきています。

今後は、『ウルシ式カイロ』を扱えるカイロプラクターを増やしていくことで、「1人でも多くの人々が健康でいられる社会」がつくられることを心から願い、活動を広げているところです。


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