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講演講師原稿 【自分年表】 学生時代編

さて、前回は、エレクトーンのことで終わっていました。

中学校の時代に入ります。中学校は転校を経験しています。

それも全く雰囲気が違う、相反するくらいの対局の学校の様子です。

市川市立第六中学校に入学しました。

一学年13クラスもあるマンモス校だった中学校。

5つの小学校からなる中学校ですから、当然のことなのかもしれません。まして私たちの頃は子供も多かった時代です。

そして、地元でもワルの中学校で有名だったのです。

それがいやで、私の出た小学校で中学受験、もしくは転勤を希望して行く人も多かったの事実。真面目な児童しかいない小学校にとって、ある意味脅威だったのかもしれません。如何せん、その当時有名だった暴走族のグループに入ってしまう子も多く番長なんていて当たり前だったのです。

そう言っても、そのまま入学する人だっているわけで、私のその1人でした。

まず、始めに起こった問題

それがエレクトーンの問題でした。

中学になったら部活に入りたい。その気持ちを遮る私には大きな事件でした。

エレクトーンは大好きでしたが、自分の能力に限界を感じていた頃でもあり

部活に入るのであれば、この際だから辞めようと思っていました。しかし、母にとっては、このことが事件になってしまいました。その時に考えは推測になりますが、多分自分の娘には音楽の道へ進ませたい、また、女の子だからと、私にとってはどうでもいい思いを押し付けてきたのです。

私が入りたかったのは、軟式テニス部。とにかくテニスをやってみたかったのです。テニスというものに憧れていた12才の女の子。皆さんにも想像が着くと思います。ウキウキ気分で母にお願いをしました。

しかし、けんもほろろに、しかも強い口調で怒られました。

「女の子のくせして。何が運動部なの。そしてエレクトーン辞める?何で?」

当時の私には、何も口答えができませんでした。母の怖さがまさってしまい何も言えなかったのです。泣くしかなかった情けない私。

それでも強行して、エレクトーンは辞めると決めました。

ここから母の逆襲が始まりました。

人を使ってまで辞めさせたくなかった理由は?

未だに理解できないことの一つなのですが、何が何でも辞めさせたくなかった母。今となっては聞いても覚えていなそうです。

しかし、さほど仲良くない私の友人を使って、辞めさせないように手立てを考える母のやり方は、正直今でも許せるものではない。

そこまで固執した母は、今感じるところの異常なのだと思います。

何年後かに鬱を発症した母は、何かしら心にあったのだと思います。

女の子はこうあるべき、運動だなんて、勉強さえできていればいいのよ。

そういう考えはあったのだと思います。

結局、テニス部に入ったはいいけれど、学校が遠くて、通いきれず、

部活はやめてしまいました。

しかし、意地でもエレクトーンはやりたくない、とにかく母の反対を押し切り辞めてしまいました。

でも何だか、母に負けた気持ちになってしまいました。

中学校の生活は、意外にも楽しく、友達とワイワイすごした一年生でした。

しかし、二年生は、初めて経験する地獄。イジメに会ってしまったのです。




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