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【読書おすすめ】マイ仏教(みうらじゅん)

自分探しよりも自分なくし

人は変わりたいと思って 自分探しをしますね。でも、自分なんてそもそも変わってる、移ろっています。勤め先での自分と、イベントに初参加する自分と、部屋着でくつろぐ自分がまったく違ってもいい。3年前と現在の自分も大違いだし、そもそも細胞が日々、一刻ごとに入れ替わっている。

逆に「自分なくし」を目指していけば、何者であっても認められて、今いる場所から「変わって」いけるんじゃないだろうか。
仏教でいうところの、諸行無常と並んでいる 諸法無我ってやつです。

いかに自分を消していくか。
自分にしかできないことって何だろう、なんて突き詰めていくことのおこがましさと、自分を消していくことは、実は表裏一体なのかもしれません。

本書の中では、自分をなくしていくことは「ご機嫌な菩薩行」と語られます。
人の機嫌取ると言うと、どうも卑屈・へつらうというイメージですが、要は 相手を慮ること。
それができていれば 回り回って自分の機嫌も良くなり、ごきげんで生きられる。
相手の機嫌を取ることは⇒自分をなくすことに通ずる。「俺が俺が 」をやめて相手の機嫌が良くなるように心がけることで、自分をなくしていくことができる。 

自分だけ 悟ればいいという小乗仏教的な修行を目的とするならば 自分探しでいい。 でも人に喜ばれたいという、大乗仏教的な 菩薩行を目指すならば、自分をなくして人の機嫌を取ることを考えるべきだ。

先日読んだ「心の対話25のルール」では
『究極的には、私たちのコミュニケーションの目的は安心感でしかない』とありました。このことと、自分をなくして人の機嫌をとり、それによって自分もご機嫌で生きるということは、つながっていそうです。これは決して、滅私奉公せよとか共依存とは違うものとして。


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