見出し画像

無駄を愛するということ


私一ノ瀬リカ、数ヶ月前に「ストイック」をやめた。

生きている意味が分からなくなったからである。


というのも、私は元々大学時代、お菓子好きもあり今より10キロほど太っており、また大した運動もせず、アニメやゲームが好き、遊びも好きという人間であった。

しかしちゃんとやることはやっていたし、周りに迷惑もかけていなかったので今思えば全然アリな生き方だと思う。しかしこれを否定し始める「ストイックな自分」がやってくる。

大学卒業後、就職1年目にしてコロナ禍で1ヶ月以上在宅になった一人暮らしの私は、誰にも会わず自分と対峙することとなった。
そこで無駄に時間を過ごしたくないという焦りから、ダイエットと学習を始めた。

そこまではとても良いことだったのだが、やり出したらとことんやりたい、オタク気質の私は追い求めすぎてしまった。

ダイエット。
頑張ると頑張る分数字に表れることが快感だった。体重計に乗ることが楽しみになった。筋トレしまくるとハイになってどんどんやっていた。お菓子やジュースは一切やめた。お米や小麦でさえほとんど食べていなかった。我慢している自分に酔っていた。

本を読んだり資格の勉強をしたり、学習をすることも楽しく感じでいた。するとだんだん他の時間をもっと学習に使いたいと考えるようになった。そして何にでも生産性や効率を追い求めるような頭になった。ゲームやアニメを見る暇があるなら、映画を見る暇があるなら、友達と会う暇があるなら、出かける暇があるなら、もっと有効で生産性のある時間を過ごしたい、と思考は加速していった。

お金に関しても節約思考になった。
数円でも安いところで買いたいため、コスパを追い求めて100gあたりいくら、、と常に考えて買い物をする毎日。少しでも安く買い物をするために店をハシゴする日々。

節約思考が加速すると、今まで大好きだったお洋服や化粧品を買うことにも抵抗が生まれた。数十円安いものを求めてるのに、数千円、数万円を娯楽に使うなんて元も子もないじゃないか!と考えたからだ。

そうしてどんどん無駄を排除していった。

休みの日は人にも会わず、考えるのが疲れるから毎日同じ食事の繰り返し、大好きな音楽も聴かず生産性や有益な情報を探し続けた。生命維持のためにご飯は食べていたが、栄養を取るためだけの食事(というかもはや捕食)。身長157cmで体重は38キロ、体脂肪率は8%。生理は半年来ていなかった。この頃はもう怖くて、お米が食べられなくなっていた。

何に関しても無欲。食欲も無いし一日3時間ほどしか眠っていなかったが平気だった。物欲も押し殺していたため感じなかった。
気付くとひとりぼっちだった。
それでも良いと思っていた。
感情もどんどん薄れていった。自分の全てが自由にコントロールできた。


ふと思った。
わたしはまるでロボットじゃないか。
なんのために生きているんだろう。

それは悲しみという認知もなく、純粋な「疑問」として生まれていたつもりだったが、認知できていない感情が「涙」という形で現れた。

なぜ、自分が泣いているのかわからない。
でもなんか、疲れた。

もしかして私、無理していたのかもしれない。

今考えるとそれは、ハイになって気づかない自分中で我慢し続けて押し殺し続けられていた別の自分のSOSだったのだろう。

そこでやっと気が付いたことを、今後の自分へ向けてという意味も含めてここに記したい。

無駄はあって良い、いやあるべきであるのだ。

私たちはなぜ生きているのか?
有効なものを生むためか?
それも間違いでは無い。

しかし、1番は、楽しむためである。
この大事なことを私は忘れていた。
極論、本人が楽しんで、幸せだったと思えればそれで良いとさえ今は思える。(もちろん犯罪などは否定したいが)

ストイックになり過ぎると、周りが見えなくなる。自分が無駄と思ったものを否定し始め、そして無駄と解釈するものが増えていく。

そんな人生、あまりにもつまらないじゃないか。

無駄と思ったものが人生をいい方向に向かわせてくれることだってある。
無駄が、自分をワクワクさせてくれる。

自分を甘やかそう。
自分の機嫌をとって楽しくしてあげよう。
そうすることが、周りの人を楽しくさせることに繋がる。

大事なのは、どの無駄を省いて、どの無駄を愛するかということだ。

全てを拾うことも全てを捨てることもやめよう。
人生は取捨選択の連続なのだから。

両親から「おかしくなっているよ、少し自分を甘やかしなよ」と指摘された手紙が来てから少しずつ考えを戻すことができるようになった。体重も43キロぐらいまで戻したし、今は大好きなチョコミントアイスも時々食べる。通院して9ヶ月ぶりにちゃんと生理が来た。友達とも会う様になった。睡眠も少しずつだがとれるようになった。
突然理由もなく泣くことはなくなった。

今も時々、頭で考えすぎてしまいそうになることもあるが、「だめだめ、本能のままに!」と自分を戻す様にしている。



この記事が、同じようにストイックになりすぎている人へはもちろん、ダメな自分を責めてしまうあなたも、それはそれで魅力なんだよと知ってもらうきっかけになったら嬉しい。


さあ、今日はどんな無駄を愛そうか。

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?