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日記(笑って欲しいけど笑えないかもしれない)

お笑いが好きすぎる。
好きすぎるから、芸人の真似とかしちゃったりするし、誰かのキラーフレーズを使っちゃったりしちゃう。

俺たちは芸人ではないから、大勢を笑わせる必要はないと思うんだけど、仲間内ではおもしろい奴だと思われたいし、俺を少しでも知っている人にも、俺がおもしろい人という印象を付けたい。
煩悩すぎると思う。けど芸人がウケを狙って、笑いをかっさらうその瞬間を見て、「楽しそう」と見えてしまったから、真似したくなってしまう。

芸人に憧れを抱いてしまった人に罹る病気なんだと思う。

自分のインスタのストーリーにそれがすごく現れていて、ただの写真とか動画を上げるのは、おもしろく見られるチャンスを逃している と考えちゃうので、なんか1つふざけたコメントを記してしまう。めちゃくちゃノイズだったりする。

さらにどんな災難が起こっても、「おもろかったらなんでもええやん‼️」と吉本のそういう人が脳内に棲んでしまったため、災難ストーリーをよく上げたりする。同情して欲しいんじゃなくて、俺の災難を笑ってくれや という心持ちでいる。

元々の性格がすこしひねくれているというか、子供の頃からずっと、一目置かれる存在でいたかった。実際一目置かれているかは分からないけど、俺をおもしろいと言ってくれる友達がいるのがラッキー。
その性格がお笑いと相性がよかったのかも。

ただこれがどこまで突き進めばいいかが分からなくなる。間違った方向に進んでしまわないかが心配になってる。
去年末に、パチンコ屋で1万2000円負けた時があり、同行した友達の前では負けたことを笑ってくれればとりあえずそれでいいや と思っていた。
ただ間違いなく脳はおかしくなってて、どうにかして笑ってもらおうという精神の上で、雪を食べようとしていた。
負けるなら派手に負けた方がいいかなとかも思ってたから間違いない。

これって本当はそんなに笑えないことじゃないですか。人のダメな部分が吐露していて。
だから災難の元凶が自分の落ち度だった時はストーリーに上げない。
プライドが邪魔しているのもあるけれど、災難ストーリーに(こいつが悪いだけじゃね?)って思われたら笑うのにノイズだと思っている。

ただ何も考えずに、理不尽な災難を笑って欲しいのだよ。

いつかそのストッパーが外れて、なんでも笑えないことも笑わせられるようなことをしだしたら俺を叩いて欲しい。「それは笑われへん」って言って欲しい。

自分の失敗談を笑って話せる人は羨ましいけど。

前回のお笑い遍歴のnoteを上げて、それ以前の読書遍歴を上げて、noteも見てもらえる時間帯があって、変な時間に上げると誰も見てくれなくなるね。

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