今、鳴らしたい音がある
映画レビュー
『バジーノイズ』
監督:風間太樹 原作:むつき潤
海野清澄:川西拓実
岸本潮:桜田ひより
速水航太郎:井之脇海
大浜陸:栁俊太郎
内海岬:円井わん
推しが主演映画なんて、バカデカスクリーンで観れるなんて、こんなに幸せなことがあっていいのか、、、
公開日が近づくにつれて私が緊張していましたけれども。
単刀直入に言わせてください。
全人類観て。マジで。
上映箇所もう無くなるってときに言うことじゃないけど
全人類観て。マジで。
音楽と登場人物たちの繊細な表情が脳裏に焼き付いて離れなくて、推し贔屓無しでこれまで観た音楽映画の中で個人的に過去一を飾ってくれた本作品。
まだ自分の紡ぐ言葉に自信はないし、こうやって言葉にすることで終わってしまう気がしていたけど、やっぱりこの作品の素晴らしさをここに書き残したいので自分鳴りにまた長々と語らせていただきます。
お時間ある方お付き合いくださいませ☺️
清澄と潮の関係性
初めに書きたいのはやはりこれ。
男と女が出会う というストーリー展開があった場合、私の中で真っ先に予想しちゃうのが恋愛関係に発展するのではないかという、まああまりにも安直な考え。
でもこの二人には恋人とか友達とかそういうのじゃなくて、100%合致する言葉が見つからなかった。
潮本人が「自分は清澄のファン第1号」って言ってたけどじゃあ清澄にとって潮はどんな存在なんだろうって考えた時に、きっとただのファンではないんだろうなと。
自室にこもって一人で創ってた '自分のための音楽' が、色んな人と出会うことでいつしか '誰かのための音楽' に変わる。清澄自身が矢印を向けた最初の '誰か' が潮であり、運命的な出会いを果たしたという事実が間違いなくそこにはあった。
上手く言語化できなくてもどかしいけど、お互いがお互いに対して「関わりたい」と思っているだけで十分というか(このお互いが「関わりたい」って伝えるシーン大好きなんですよお泣泣泣)、その胸がぎゅっとなると同時に温かくなるようなそんな特別な関係が二人の間には築かれているんだと思わされる。
上手く言葉にできないこの関係性が逆に心地良かった。
私にとっての清澄は、私にとっての潮はどこにいるんやろなあ〜〜〜(滝涙)
憎めない登場人物
最近講義で悪役の存在について学習した。
物語を盛り上げるうえで悪役の存在は重要
正義を示すには悪役の存在が不可欠
本作品にあえて悪役を当てはめてみるとすれば、
恐らく清澄を部屋に閉じ込めた音楽プロデューサーの沖になるだろう。
"清澄を部屋に閉じ込めた" とだけ聞けば彼は清澄の自由を奪った。悪役そのものだ。と彼を非難したくなる。私も最初は彼に対する嫌悪感が否めなかったのは事実だ。
しかしその考えは浅はかだった。
この彼の行動は、これまで数々のアーティストを見てきて、音楽業界の現実を痛いほど分かっている彼だからこそ、清澄の才能を無駄にしたくないという強い思いが溢れ出た結果だと私は思った。
最終的に清澄が3人に連れられ部屋を出ていった後彼は優しく微笑む。
その姿が私には完全なる悪人には見えず憎めるわけが無かった。
完全なる悪役には徹さない人物を描くことが、本作品を単なる物語、作り物として日常と分離させるわけではなく、観客が登場人物と自分と重ね合わせたりと、リアリティを生み出す要因になっているように感じた。
色を用いた心理描写
本作品に惹かれた理由として、内容以外の部分で言えば色使いが挙げられる。
"青春"を彷彿とさせる青が基調となっている本作品だが、度々登場人物の心情が彼らが身につけている色に顕れていた。
中でも印象的だったのが潮がいなくなったときの清澄だった。
潮と連絡が取れず清澄を尋ねる陸と航太郎。
ドアを開けたのは真っ黒な服を纏った清澄。
バイトがあるからと2人を拒絶し、モップを洗うシーンへと切り替わる。
その水は黒く濁っていた。
潮が居なくなってしまったことへの絶望が色に落とし込まれていた。
特に清澄は口数が多い方でないからこそ、このような繊細な心理描写に心を打たれた。
本作品は視覚も聴覚にも刺激を与えると同時に、とにかく音楽の秘める力をひしひしと感じさせてくれる作品でした。
そして何か物事を始めたり、選択をしなければならない立場に立った時、どっちが良いとか悪いとかそういうのじゃなくて、自分がやりたいかやりたくないかが重要で、他人の目が気になっちゃう自分だからこそそういう時くらい自分軸で考えてもいいんじゃない?と優しく背中を押してくれる。
今を生きる私が救われたように、きっと未来の私のことも救ってくれる作品なんだろうなと思います。
拓実くんバジーノイズに出会わせてくれてありがとう。
全力で海野清澄を演じてくれてありがとう。
私も音楽始めたくなっちゃうなあ、、、
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?