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私の親友アンネ・フランクを観て。

Netflixで配信されている「私の親友アンネ・フランク」を観ました。

✱ネタバレを含むので閲覧予定の方は閉じて頂ければと思います。申し訳ないです。✱

2/1から配信が開始されることをネットニュースで知り、即座にウォッチリストへ追加して待っていました。

言語はオランダ語で、たまにドイツ語が混ざっていました。たまに字幕が消えるので、誰が何を話しているのか分からなくなるシーンがありました。最後まで字幕を作成して欲しかったです。

※ここからはアンネという呼び方で表します。

アンネを題材にした作品はいくつかありますが、親友の視点で描かれているのが新鮮でした。


ハンナはアンネの日記の著書の中で、リースという偽名で呼ばれていました。

彼女は日記でもたびたび登場しています。
2人は同じドイツ出身で迫害を受け、オランダへ移住してきた事もあり、家族ぐるみでの付き合いがありました。アンネはフランクフルト出身、ハンナはベルリン出身です。

この映画の中でとても印象に残った表現がありました。
ハンナとアンネの現在と過去の景色と状態を対比して表すことで、日常の自然豊かなアムステルダムの風景、同級生との他愛ないコミュニケーション、2人の友情の約束、ホロコーストの恐ろしさや絶望、死と隣り合わせな環境、差別が日常化する悪夢のような現実が伝わってきて、とても苦しくなりました。


普通の女の子だった事がよく分かるシーンがいくつかありました。

異性への興味、お化粧やお洒落への憧れ、子供から大人へと変わるに体の変化、学校の世界でよくある仲間意識や友達関係のもつれやしがらみ、大人と子供の世界や会話の違い等、今でも学校生活を送るにあたって共通することが沢山ありました。

描かれていく中で、アンネの印象が変わるシーンがあり、動揺しました。

それはアンネがハンナを仲間はずれにするシーンでした。私も中学生の時、仲の良かった子がほかの友達と登校をしたり行動を共にするようになって、仲間はずれにされた経験がありました。

他の子と仲良くなるのは自然なことだとは思いますが、わざわざ描く必要があったのか?というのは正直疑問に感じてしまいました。

これは映像的に思春期の不安定な人間関係や精神状態を描く為のフィクションなのか、ハンナの実際の経験談なのかは分かりません。

ですが、それならばマイナスイメージを与える事ではなくて別の天真爛漫さや授業での元気な発言風景などを表現して欲しいと思いました。

また、男女の体の構造を示している図鑑を、執拗にハンナに見せようとするシーンがありました。

これも子供らしさやおしゃまなシーンを描きたかったのかもしれませんが、あまりいい表現に感じられませんでした。オーバーな演出で誰にでも分かるようにしようと考えたのかもしれませんが、私にとってアンネはもう少しピュア寄りのおしゃまさんだと認識しているからです。

表現ひとつでかなり意味が変わってきてしまうので、ノンフィクションだからこそ表現には気をつけるべきなのだと感じました。

ハンナには両親と妹がおり、ハンナが妹の面倒を見ていました。

とても面倒見が良くて、心優しい素敵な心を持っていると思いました。

実際に連行された後も常に妹の面倒を見続けていて、自分のことよりもまず、家族のことを優先する彼女があまりにも大人で、子供時代を過ごせずに大人にならなければならない環境がとても悲しかったです。

連行されたという表現について説明すると、アンネはベルゲンベルゼン強制収容所へ、ハンナはベルゲンベルゼン強制収容所に隣接する中立国外人ブロックに収容されていたからです。

中立国外人ブロックというのを知らなかったので、映画で見ることが出来て学びに繋がりました。

中立国外人ブロックは強制収容所よりも赤十字の支援物資を受けることが出来るようでまだ食料や医療を受けられるだけ恵まれているように見えますが、かなり劣悪な環境下でビニール紐を作るために立ちっぱなしで12時間働かされていたと映画でも表されていました。

かなり印象的なシーンとして、ハンナとアンネが壁越しに再開するシーンです。
本当に実現したのか?と疑問に感じるくらい厳しい強制収容所の見張りがあったとは思うのですが、運命的に再会を果たせたのが嬉しかったです。

しかし、これが彼女たちの最後の再会だったことが物凄く苦しく、残酷な真実だと思い知らされます。

ここでもハンナはアンネのために食料を確保し、壁を超えて渡すのです。
もしも自分だったら、自分が生き残れるかも分からない環境なのに友達のために食料を渡せるのだろうかと問いました。
空腹で倒れてしまうハンナを見て、それでも彼女のために行動する姿は友情を超越した家族に近しいとても深い絆と愛情を感じました。
これは到底言葉には出来ないなと思います。表現力が無いのでこれが精一杯の表現です。

アンネの変わり果てて痩せこけた姿は、見ていて辛いです。
何故こんなに辛い思いをしなければならないのか、夢いっぱいの少女時代に亡くならなければならなかったのか、考えるだけで恐ろしく果てしない絶望を感じます。
映画を観たあとは胸が苦しくなり、夜を迎えるのが恐ろしかったです。
映画を観ただけでこれだけ辛いのに、実際に体験した方々はどれだけ恐ろしく苦しく辛かったか…計り知れないです。

夜を迎えるのが恐ろしいのはホロコーストの研究の時に度々起こるのですが、これは感情移入をし過ぎてしまうこととそれだけ自分自身が平和について向き合いたいと思っているからです。

ホロコーストについてはずっと研究していますが、これからも研究し続けると思います。

私にとってこの歴史は人生の一部だと考えています。
民族や時代や生きてきた世界は全く異なりますが、とても身近な歴史なのです。

彼女達は私の小さい頃から私の人生の中で生きています。世界中を旅していて、幸せな世界を見つけています。
それはこれからも永遠に変わることはありません。

最後のメッセージで、「ハンナはパレスチナで看護師の夢を叶えました、アンネは有名になる夢をアンネの日記で叶えたのです」というセリフがありました。

この台詞は余りにも配慮が無く、想像力に欠ける言葉だと思いました。

それは彼女の望んだ夢とは全く違うのです。

あまりにも皮肉で辛い表現に感じます。

セリフの中で現在の状況を伝えたいということは分かりました。


ホロコーストを学ぶ事によって、現代のユダヤ人の状況やイスラエルに関する事もこれから勉強していこうと思います。


少しでもこの映画を観て、平和について考える方がいらっしゃいますように。

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