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この組織にいたら、わたしはきっと泣く

「人生で一番悔しかったことはなに?」と聞かれて答えるのは今も、高校3年生の最後の大会の日ことだ。

群馬の音楽ホールの前、とっぷり日が暮れた肌寒い時間に、人生でいちばん泣いた。いつまでもめそめそ泣いていたら「もう泣くんじゃない!」と顧問に怒られて、「そりゃあんたには、もう一度来る夏だからね」と思ってもっと泣いた。

呼ばれるはずだったのだ。「ゴールド、金賞!」と。去年も一昨年も当たり前のように受け取っていたそのコールが今年はなくて、淡々とした声で「〇〇第二高校、銀賞」と言われただけだった。あと1ヶ月続くと思っていた夏が、急に終わった。高校3年の最後の関東大会、9月の終わりだった。

「そんなに音楽が好きだったの?」と聞かれたらYESで、でも、「そんなに勝ちたかったの?」と聞かれると、それはなんとなくNOだった気がする。「絶対に金賞を取って全国に行きたい」という気持ちを思い起こしてみると、その底にあるのは「1日でも長く皆と歌っていたい」だったようにも思う。一緒に笑って一緒に泣いて、家族より長い時間を過ごしたこの子たちと、ずっと一緒に歌っていたい。

その証拠に、3年生を全員乗せた帰りのバスのなかで延々と歌ったのは「いつまでもこうして座っていたい」という谷川俊太郎の詞をオマージュした、「いつまでもこうして歌っていたい」のフレーズだった。

社会人になって8年も経って今更こんなことを言うのも恥ずかしいのだけれど、今の会社にいると、そのころと近い気持ちになることがある。

部活とビジネスは違うから、目標達成は当然で、組織の拡大にも絶えず力を尽くさなければならず、仲間との仲良しこよしなんかより、ひたすらコトに向かうことが求められる。

綺麗にまとまらないたった1音を鳴らすために何時間も練習していたあのころに比べたら、「100点ではないが、事業を進めるためにこうすべきである」という判断を下さなければいけないシーンも増える。

納得できないことも起きるし、ものすごく努力したのに数字につながらなかったなんてことも日常茶飯事だ。放り出したくなる日だって、そりゃ、ある。

でもそういうとき、「もう一回頑張ろうかな」と思わせてくれるのは、30になった今も仲間の存在だったりするのだ。

本当にしょうもないなと思いながらも書くのだけれど、わたしは会社の毎朝の「朝会(あさかい)」がかなり好きだ。毎朝その会の結びに「エンジンコメント」というパートがあって、担当者がチームを鼓舞するようなコメントを伝えていく。

真剣な話をしたいはずなのに、いつも皆を和ませてくれるキャラクタのせいで笑いが起きてしまったり、かと思えばいつも朗らかな雰囲気のメンバーがサービス品質に苦言を呈してピリッとした空気が流れたり、推しの話を交えながら皆をモチベートしてくれるおかげで「Dくん=清水エスパルス」みたいなブランディングがなされたりする。

これって本当に毎日の小さなことで、興味を持とうと思わなければ何事もなく過ぎ去っていく数分の話だ。

でも、そこにアンテナを立てて、「この子ってどんなことを考えてるんだろう」「この子とランチに行くとしたらどんな話をしたら楽しいだろう」「物事をどんな風に見ているんだろう」と向き合ってみると、「この子のここ、好きだな」と思えるポイントがたくさんある。そして、つらいことがあった日は思い出すのだ。あぁ、あの日のCくんのコメント面白かったな、天才なんだよな、あれもう一回見たいな、と。

そういう日常の積み重ねが、チームを、“青春”を作ってくれるのだろうなと、わたしは思う。

社会人歴もそれなりになり、自分で事業を作る経験も、事業計画と現実の数値を見て絶望するなんて経験もさせてもらったわたしは今、基本的にコトに向かうのが好きなタイプになったと思っている。でもコトに向かうだけじゃなく、あのころみたいに仲間を好きだと思えているから、仕事が楽しいのかもしれない。

組織を離れるときに泣いたのは、高校の部活の引退のときと、大学時代のバイトを辞めるときだけだった。社会人になってから、退職で泣いたことは一度もない。

けれど今はなんとなく、自分がこの組織を離れるときは泣くんだろうなぁ、と思う。もっと皆と仕事したかったな。もっと朝会見たかったな。そう感じるのだと思うし、そう思いながら辞めていきたいなとさえ思う。そのくらい、わたしは今の組織が好きだ。

あ、でも、いまの会社でだったら、組織を離れるより前に、「ものすごく悔しいこと」に泣けるのかもしれない。ここでだったら、そんな瞬間があってもいい。今のわたしはたぶん、「もう一度来た夏」にいる。

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