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将来の夢ってなんなのだろう、という呟き

わたしは将来の夢が書けなかった。小中高とずっと、自分が遠い未来に何になりないのかはっきりと思い描くことができなかったし、それを口にすることに恐怖していたのだ。

わたしたちは小さなころから何かと将来の夢を語らせられている気がする。卒園式で、1/2成人式で、小学校の卒業式で、立志式で、中学校の卒業式で、そして最後に高校の卒業文集で。

わたしが最後に明確に夢を語ったのは保育園の卒園式のときで、みんなの前で「大きくなったら歌手になりたいです」といった。卒園アルバムの巻末にはイラストで夢を描くページがあって、ステージの上でマイクを握る自分の姿を描いた。先生は、「もし本当に歌手になれたなら、保育園にサインをしに来てくださいね」と言った。そのときにわたしは思ったのだ。「そうか、歌手になりたいという夢は、先生にとっては"もしもなれたら"くらいの壮大なものなのか」と。

そのときになんとなく、歌手になることは途方もなく難しくて、遠くにある夢なのだとわかった。わたしはそんなに馬鹿らしいことを口にしてしまっていたのかと子ども心に思って、そのときからわたしは、歌手になりたいと言うのをやめた。

小学1年生のころ、「歌手になりたいならピアノを習った方がいいよ」と母に言われて軽い気持ちでピアノを習いだしたら、思いのほかのめりこんだ。わたしより2年先に始めていた姉のことも気づけば追い抜いていて、いつしかわたしの夢はピアニストになることに変わっていた。けれどこの夢は結局、だれにも語られることはなかった。中学2年くらいまで沸々と胸の底に「ピアニストになりたい」という気持ちはあったけれど、絶対に口にはしなかった。

小さなころから馬鹿正直で、ちょっと真面目で、自分の言ったことや信念みたいなものは途中で変わってはいけないものだと思っていた。将来の夢を口にしたら最後、なりふり構わずそこを目指していかなければいけない気がしていた。

だから、将来の夢を発表しなければならない"場"でなんとなくそれらしいことを口にすることはあったものの(学校の先生だとか看護師だとかそういう社会貢献度の高いもので、自分の"好き"とは結び付かないものだった)、文集などの形に残るものには絶対に将来の夢は書かなかった。その夢がかなえられなかった日には、わたしは文集を燃やして回りたくなるだろう。そう思って、小学校の卒業文集には6年間の思い出を書いたし、中学校では「具体的な将来の夢はまだないが、まずは自分の苦手なことをなくしていきたい」みたいな当たり障りのないことを書いたと記憶している。

わたしのように過剰な自意識を持たず、好きなことを好きだと胸を張ることができ、それをそのまま将来の夢として書き残せる同級生たちのことをわたしは心底羨んだ。サッカー選手になりたい、漫画家になりたい、幼稚園の先生になりたい。それを成し遂げる覚悟、みたいなものを彼らがもっていたのかは知らないが、とにかく、爽やかに言い切る姿はまぶしかった。


高校を卒業してしまえば将来の夢を聞かれる場面はほとんどなくなる。「夢」はもっと現実味を帯びた「進路」とか「就職先」みたいな言葉に置き換えられ、やれサッカー選手だ漫画家だと言っていた友人たちもみな、メーカーやwebメディアや保険会社の一般職に就職を決めていった。言ってしまえば、みんな普通の会社員だ。

みんなが「将来」何になっているのかを小学生のわたしが知ったら、どんな顔をするんだろうかと思うことがある。「なんだよ、叶えなくてもいいんだったらわたしだってピアニストって書きたいよ!」っていうんだろうか。それでも明確な夢を書くことからはスルスル逃げ回り、誰の目にも止まらない「思い出話」を書き連ねるんだろうか。

なんとなく、後者の気がするなあ。

小学生のきみが感じている「将来の夢を語ることへの責任」の正体は一体なんなのだろう。大人になったわたしは、子どもがのびのびと自分の夢を語れる相手に、職業ではなく「ありたい姿」を語っても許される相手になるのが夢なんだけれど、きみはどう思う?これって、書き残しても大丈夫な「夢」かな。

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