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【雑記】わたしはメモができない

わたしはメモをしない生き物だ!と気づいたのは、居酒屋でアルバイトをしていた大学生のときだった。

居酒屋にはたいてい生ビールを注ぐためのサーバーがあるのだが、あれは機械の中にビールが詰まっているものではない。

ビールの入った樽とサーバー本体をホースでつないで、途中でガスを混ぜちゃったりなんかして、注ぎ口から炭酸入りのビールが出るようになっているのだ(詳しくは知らないので調べてください)。

毎日閉店するときには当然サーバーを洗浄するのだけど、わたしはどうしてもその方法が覚えられなかった。

たしか最初に、サーバーと樽をつなぐホースを引っこ抜く。そのあと水が入ったバケツかなんかにホースをつなぎなおして、サーバー全体に水を流して……みたいな感じだった気がするのだが、手順を間違えるとガス圧でビール樽が小爆発を起こし、顔面がビールまみれになるのだ。

手順が覚えられないから、わたしはビールサーバーの「締め作業」が大嫌いだった。

「メモしないから覚えられないんだよ」と初めて人に言われたのも、数回目かの小爆発を起こして居酒屋のユニフォームがびしょびしょになったときだ。どうやら、わたしの物覚えが悪いのは頭の良し悪しではなくて、「メモを取らないから」らしい。なるほど、メモを取ろう――。

その決意から数年、大学を卒業したわたしはしっかり、「メモを取れない大人」に仕上がっていた。

学校の講義でも就活の説明会でもインターンでも、「メモをとらなきゃ」と何度も思った。でも、できないのだ。それには、こんな理由がある。

人の話を聞きながら内容を整理できない

おそらくわたしは、音声で情報をインプットするのが非常に苦手だ。文字で書いてあればすぐ理解できるのに、音声になった途端「もうだめだ~~~~」となる。

だから、だと思う。Youtubeの「解説動画」みたいなものをみても内容はさっぱり頭に入ってこないし、voicyとかstand.fmのような音声メディアとも相性が悪い。なんてったって、理解ができないのだから。

即座に内容が理解できないということはすなわち、それを手で「メモ」という形でアウトプットするのも限りなく不可能に近い。左手にペンを、右手にメモ帳を携えることはできても、何を書けばいいのかわからないのだ。

マルチタスクができない

「メモを取る」行為を分解すると、その中にはこんな内容が含まれる。

①話を聞く
②(ざっくりと)内容を理解する
③手で書く
④前の項目について書きながら次の項目の話を聞く

いやいや難しいでしょ!特に④は至難の業だと思う。

たとえば、ハンバーグの作り方を教わっている場面を想像してほしい。料理教室の先生が「玉ねぎはみじん切りにして、耐熱性のボウルに入れてレンジで3分チンしておきます」と説明したら、当然それをメモするだろう。

「玉ねぎをみじん切り、レンジで――」

ここまで書いたらもう、先生は次のことを話し始めているのだ。

「卵はボウルに入れる前に溶いておきましょうね。」

卵!?もう卵の話!?いやわたしまだ玉ねぎの話書いてるんだけど!?となる。だって、メモをしているときわたしの意識はメモにあるのだ。玉ねぎを切ってから卵に行くまでの話は、ほぼ聞こえていない。

「メモをする」は意外とすごい。いろんな作業を同時進行しなければいけない。

メモが読めない / 探せない

そもそもわたしは美しい字を書くタイプではないのだけれど、それでも「丁寧に書いた字」と「雑に書いた字」は見栄えが違う。

急いで書いた時は当然雑で汚いし、読み返す気にもならない。下手すれば、読み返しても何が書いてあるかわからない、なんてことはざらだ。

ここまで書いてきたように、メモしている間はいろんな作業を同時進行していて、「きれいな字を書く」ところまで気が回るはずもない。後で読み返すために・記憶に定着させるためにとったはずのメモが、「読めない」。繰り返す。メモなのに、読めないのだ。

あとは、話を聞いて気ままにまとめたメモはたいていどこに何が書いてあるかわからない。検索機能がない。何もかもだめだ。

パソコンがすべてを解決した

新卒で入った会社はweb系の会社じゃなかったから、なんとなく「人の話を聞くときにPCを開いているのはマナー違反だ」みたいな風潮があった。

一転したのは、スタートアップに入社してからだ。研修のときもみんなPCを抱えている。そもそもメモ帳を持っている人が少なくて、みんな当たり前にパソコンでメモを取っていた。

ラッキーなことにわたしはそれなりにタイピングが早かったから、なんというか、もうなにも考えずに話したことを(ほぼ)一語一句打ち込んでいけばいいだけだった。

どういう仕組みなのかわからないが、たぶんわたしのタイピングは「反射」みたいなもので(どういうことだよ)、耳から入った音声は脳みそを通過せずにそのまま指に情報が行っている感じだ。

今日聞いたことを復習しようと思ったら、脳みそを通らずに書き込まれたドキュメントをもう一度見に行って、自分のペースで、しっかり覚えなおせばいい。

何も書けないまっさらなメモ帳が手元に残ることも、あまりに汚い自分の字に失望することも、「こないだとったはずのメモがどこのページに書いてあるのかわからない」こともなくなった。パソコンはすごい。

メモを取ることがゴールなわけじゃない

このnoteでハックを伝えられたらいいな、と思ったけど、タイピングが異常に速いのはきっと長いこと習ってきたピアノと小学生のころにはまり込んでいたタイピングゲームの賜物で、汎用性は低い。偶然が生み出した産物でしかない。わたしの努力の成果でもない。

ただまあ、ものを覚えるときに「メモを取る」方法が必ずしも正しいのかと言えばそうじゃない、ってことだけは伝えたいなと思う。

一度説明を聞いただけで完璧に覚えられるのならメモをとる必要はそもそもないし、手書きのメモが苦手ならわたしのようにパソコンを使えばいいし、説明を録音して通勤の電車で聞いて覚えてもいい。「メモを取るのに時間がかかるので、話が一段落したところでメモをとる時間をください」と伝えてもいい。

そんな風に一人ひとりが、「わたしにあったやり方」を考えて、「まあ、いろいろあってもいいよね~」と思いながら取り組めるようになったらいいな、と思う。なんとなく。


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