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気にしなくても良いことを

通勤ラッシュのときに改札にひっかかる、電車で目覚めたとき、目の前にいたのが足がプルプルしているお年寄りの方だった、普通の春雨サラダだと思って買ったのに食べるまでタイ風であることに気付けないetc…
日常、まあまあの頻度で起こるほんの些細なことを家に持ち帰って大反省会を開いてしまう方へ。大丈夫、あなただけじゃないですよ。

人を不快な気持ちにさせたくないのと自分が傷つきたくない気持ちが強すぎて、ふつう気を使わなくていいところでも気を使って生きていたり、些細なことを気に病んだりしている。正直、すごく疲れるのだけど、人を傷つけてしまったと後で気づいた時のダメージがそれをはるかに上回るため、予防線を張って生きている。

人と食事をするときは、相手のペースをみてできる限り合わせ、フォークとナイフの使い方が変にならないように神経を使い、咀嚼音を立てないように気をつけ、目線を適度に合わせたりそらせたりして相手を緊張させないようにして、食べている途中でも皿の上が美しくあるように意識する等々、気をつけなきゃならない(本当はなきゃないことない)ポイントが山のようにある。なんてこった。これを全部意識して、会話にもついていこうと気を張り続けていると、味が感じられなくなってくる。
もちろん、気心の知れている人との食事であれば幾分か気にするポイントは減るし、ちゃんと美味しく楽しく時間を過ごせるのだけど。

街を歩いているときは、できる限り人と目が合わないように足下か建物を見るようにしている。視線を向けられることに恐怖している人がいることを知っているのと、知っている人でもまじまじと見つめることが失礼にあたるのではないか、と勝手に先回りしているところもある。同じ理由で、目上の人にカメラを向けることが苦手。

え…気にしすぎでは…?とどん引く人と、めっちゃ共感してくれる人とかなりはっきり分かれると思いますが、気にしてる人は気にしてるんです。こんな些細なことでも。杞憂に終わることがほとんどだとしても。

生きづらくないのか問われると生きづらいよ、とはっきり答えられるけれど、それでお互い守られているものがあるのならいいではないか、と肯定してみている。
長年染み付いた癖はもう性格になってしまっていて、なかなか切り離すことができない。もう20代も前半戦が終わろうとしている今、いいところで折り合いをつけたいとは思っている。思ってはいるんだけどね。