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新大阪行きひかり

見る専で始めたつもりだったけど、文章を書くのがやはり好きなので、徒然に書いてみることにする。

今日は待ちに待った中国巡演〜炒飯編〜なのだけど、それはそれは楽しみにしていたはずなのだけど、全く気分が乗っていない。
その理由は分かっていて、昨夜上司から仕事の連絡が来たため。内容は、次年度から仕事内容が増える、というもの。
ポジティブに考えれば、スキル向上、ステップアップにもつながる、いわばチャンスとも言うべきありがたい話なのだけど、今の私にはその感情が1%程度しか沸いてこない。残り99%は、やりたくない。

そもそものわたしは、あくまでQOLが最優先、同期に遅れはとりたくないけど競争心などは一切なし、責任はきちんと果たしたいけど程々の収入とポジションがあればそれ以上は望みません、といったような、究極の安定思考人間である。

正直言って今の職場の今の仕事内容は、私にとっては既に少々オーバーワーク(主に精神面で)気味ではあって、現状のまま、これ以上の仕事をというのは、おそらく不可能ではないが、数ヶ月後の自分の心が瀕死になっている未来が容易に想像つく。

それで一度痛い目を見ているため、回避できるなら回避したい。わたしは、あくまで生きるために働いているんだ。けれど夢中になると、その順番を間違えてしまう傾向があることも分かっているから、だからこそ、やりたくない。けど、それでいいのかな。

働くって、本当に大変なことだ。今日駅へ行く途中、ビルの1階に人材サポートの会社が新しく入っているのを見かけた。看板に"ハタラクを支える"と書いてあった。働くことを支える、もはや支えられないと働けないのか。この国の大人たちは支えられながら働いていて、その支えている人だってそれが仕事なわけだから支えが必要で、そのまた後ろにも支えがあって。なんかあれだな、4-5人で輪になって一気に後ろに倒れて、後ろの人の膝に背中預ければみんな寝られるみたいな、なんか昔流行ったあれに似てるな。でも誰か1人が崩れたらみんな崩れる。働く社会もそれなのか、あれが社会の縮図だったのか。当時は気づかず遊んでたな。

1人では頑張れないし、1人で頑張ったって、他の誰かが手を抜いたらその頑張りはなかったことになり、なにも報われなかったりする、それが社会なんだと、悲しいけれど、でもその中でも生きるために、あくまで生きるために働いているのが人間なんだよな。馬鹿みたいに、当たり前のように働いてるけど、それでうまいこと回ってるんだ。

でも、本当に無理なときには、崩れる前に椅子を持ってきてもらって、みんなで一旦座って、作戦会議して、体勢整えて、もう一回輪になればいい。無理なら1人抜ければいいし、可能なら代わりの人を呼べばいい。それでいい。ポジティブな意味で、わたしの代わりなんていくらでもいるんだから、頑張り続ける必要はない。

書いてたら、落ち着いてきた。

今琵琶湖のあたり。もう少しで大阪だ。
せっかくのライブなんだ、気分あげて楽しもう。

Spotifyからは、そういう日もある。ありがとう周啓氏。また後で。


追記:ライブ最高ーーー!ありがとうーー!!

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