性犯罪被害者の感情と、男の子の親が考える性犯罪防止法

Twitterで話題になっていた「男の子の親は、自分の子が加害者にならないような教育をちゃんとしてるのかな。女の子の親がしている被害にあわないための教育の熱量と同等にできてるのかな。」という趣旨のツイートにどうしても心がもやもやして、見過ごすことができませんでした。少なくとも私は「男の子の親のみんな?加害者を生み出さない努力をもっとしてよ!」という苛立ちを一方的に押し付けられたように感じたのです。(コメント主の本意は純粋に性犯罪被害をなくしたいという思いだということは承知しています。一般的な伝わり方の齟齬の問題について論じています)

主語を大きくすることの弊害

これは他の問題でもしばしば起こる二項対立の構図で、男性が悪質な痴漢冤罪について「女は気軽に被害者のふりをして男を加害者に仕立てる。加害者に仕立てられた男はたまったものではない。」と言う場合にも同様のことが起こっています。双方に共通しているのは、被害者が怒りを加害者だけでなく男の子の親全員や女性全員に向けてしまっているように聞こえる点です。男の子の親と女の子の親、男性と女性だけでなく、若者と老人の場合や日本人と◯◯人というのも良く見る構図です。このような二項対立に陥ってしまうと、だいたいが不毛な言い争いとお互いに傷つけ合ったり怒りが増幅する結果に終わりがちで、あまり良いことは起こりません。

性犯罪被害者の感情

今、世界中の性犯罪被害者が怒りや悲しみの感情をようやく吐露できる雰囲気になりつつあります。それはきっと良いことです。それでもまだまだ性犯罪はなくならないし、性犯罪被害者が理不尽な扱いを受けるという現実がある。だからこそ怒りや苛立ちの声はいつまでも止まないのでしょう。

それでもあえて言いたいのは、性犯罪に対する怒りや苛立ちを加害者でない男性一般や男の子の親一般に向けるべきではないということです。そんなつもりがなくても、私たちは細心の注意を払って負の感情を加害していない人間に向けないようにするべきです。

それは何故でしょうか。私は性犯罪被害者でもあるので、苦しさや怒りを吐露したい気持ちも理解できます。それでも、負の感情を不用意に吐露すると人を遠ざける恐れがあることも知っています。怒りがまだ渦巻いているのなら、まずやるべきことは自分を抱きしめてあげることです。信頼できる人間に辛かったことを聞いてもらうのも良いです。平気なフリや我慢などせず気が済むまで泣いても良い。

納得するのは難しいのですが、怒りや苛立ちは自分と向き合うことでしか克服することはできません。ああ、私は怒っているんだな。ああ、私は辛かったんだな。認めて抱きしめてあげるしかありません。意識的にせよ無意識にせよ、負の感情を他人に向けたり滲み出させていると、人を遠ざけたり相手にも飛び火して増幅してしまうのです。

男の子の親としてできること

今の子育て世代は必ずしも性教育を十分に受けてきませんでした。男の子の親たちが性教育について無知であった事実もあったかもしれません。それでも、最近では具体的な方法を目にする機会が増えてきました。私たちはそれらを学んだり広めたりすることで性犯罪被害を減らしてゆくことができるかもしれません。こんなに辛かった!教育どうなってんのよ!と加害者でもない男性たちや男の子の親たちに負の感情をぶつけても不快感や不安を与えるだけで効果的ではありません。そうではなく、落ち着いて具体的な方法を提示すれば男性たちも男の子の親たちも素直に耳を傾けて私たちの味方になってくれるのではないでしょうか。

そこで私が知っている子育て中の親にできる性犯罪を防ぐための手助けになる具体的な方法を3つ共有します。

1.幼少期から、プライベートゾーンは相手に見せたり触らせたり写真に撮られたりしても、自分が見たり触ったり写真に撮ったりしてはいけないことを教えます。プライベートゾーンの場所は水着を着たときに隠れる場所のことです。


2.思春期前には紅茶を飲みたくない人に無理やり飲ませてはいけない例をあげて性的同意についての知識を教えます


3.ソウレッジさんのような性にまつわる課題に取り組んでいる社会活動を応援する。性教育トイレットペーパーや、性の課題やプライベートゾーンを学ぶカードゲームなどユニークな商品も展開されています。

voicyもされています


他にも私の知らない良い方法があると思います。もしおすすめがあれば男の子の親としても女の子の親としても是非教えてもらいたいなと思っています。

Twitterって難しい

意図せず対立構造を作ってしまわないように、できるだけ多くの人が手を取り合うことのできるアプローチを使って性犯罪被害をなくして行けたら良いですよね。

今回の件では、誰に何をどのように投げかけるか、怒りや苛立ちや正義感を抱えていればいるほど慎重になる必要があることを学びました。

私も含めてTwitterの文字数の隙間をそれぞれが私事で埋めてしまってすれ違う様や、自分が投げかける負の感情が相手にどのような影響を与えるかに無自覚なコメントが乱立する様には無力感すら感じてしまいます。仮想敵前提で怒りをぶつけられるのは誰でも精神的に辛いものです。それでも関わらない見ないふりをせず自分のスタンスを示すことで気付きを得続けられるように。できれば誰かの気付きになれるように。こちらのnoteが誰かのお役に立てば幸いです。

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