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「ドキュメント72時間」が好きな人におすすめチョン・セラン「フィフティ・ピープル」

NHKの「ドキュメント72時間」が好きで欠かさず見ています。

たまたま同じ場所の、たまたまの3日間の、たまたまの人たち。
登場する誰もがみな輝いているわけではなく、つらい状況にいたり、何かが終わろうとしていたり、始まろうとしていたりと様々で、そんななかでもしっかりと自分のコトバで想いを語っているのが、ステキです。

この番組を見ていると、小さな自分の物語のなかでは誰もが主人公、そんな感じがします。

「ドキュメント72時間」が好きな人におすすめしたい一冊が、チョン・セラン「フィフティ・ピープル」です。

韓国の、ある大学病院にまつわる50人(実際には51人)の物語集ですが、すべての物語が病院内で起こっているわけではありません。
登場人物も医師など病院関係者、患者というわけでもありません。
ですので、病院物かぁ関係ないし、と敬遠してしまうのはもったいない。


50人の物語は「ドキュメント72時間」のように、ほっとしたり、にやっとしたり、どきっとしたりと多彩です。

それぞれが繰り返し読み返したくなるほどステキで、どれもが魅力的です。
といっても、よくある<ちょっとイイ話>を集めたものではありません。


物語の背景には、
通り魔殺人、災害、不祥事、奨学金問題、セクハラ、パワハラ、LGBT 、介護、非正規、避妊と中絶などが描かれているものもあります。


翻訳の斎藤真理子さんのあとがきによると、韓国で話題となった事件や災害、問題を思い起こさせるものもあるとかで、だからといって日本の私たちにはわからない、なんてことはけっしてありません。

当然今の日本でも共通する問題ばかりなので、自分たちの問題としてとらえ直してみることだってできます。

ひとつの物語は長くて5ページほど、簡単に読めます。
簡単に読めますが余韻は深いです。

次の物語に移る前にちょっと考え、味わえる時間が楽しめます。
ある物語のなかにほんの数行だけ登場した人物が、別の物語の主人公になっていたりもしています。


「ああこの人ってあそこでちらっと出てきたあの人のことか」という発見もあって、それは単なる構成上の面白さだけでなく、誰もがいつだって主人公であり脇役でもある、という作者の主張の現れでもあります。

作者のチョン・セランは書いています。

この物語の構想が生まれたのは、旅行で東京を訪れ、渋谷のスクランブル交差点をビルの上から眺めていたときだと。

「互いが互いの人生と交錯している様子を描きたい」だから「主人公がいないと同時に、誰もが主人公である物語」だ。
すれ違う程度の人々、良き隣人たちの存在が社会においてどんなに重要かを考えさせてくれます。


だからといって、「フィフティ・ピープル」は声高に直接的にそんなテーマをうたっているわけではありません。

人生のほんの瞬間の、
ほんの少しの嬉しさ。
ほんの少しの悲しさ。
ほんの少しの切なさ。
ほんの少しの希望。
ほんの少しの感謝。

そんなほんの少しの感情を、時に主人公になって、時に脇役になって交わし合う。
日常の人生の、そんな繰り返しの大切さを思い改めさせてくれるのです。
毎日を過ごしているといやになることだって当然あります。

いつまでもレジで待たされ、
ちょっと肩が触れた程度で睨み睨まれ、
段取りの悪いサービスに苛立ち、
あるいはTwitterで誰かを傷つけるようなコトバに出会い、
なんだかなぁ〜とため息をついたりつかれたり、と。
そんな時忘れてしまいます。

誰もが自分の人生の中では主人公なんだということを。
家族がいて恋人がいて大切な人がいて、そういう人にとっては誰もが主人公であるのに、いつも<自分>が唯一の主人公だと考え、他者を脇役どころか通行人程度にしか見ていないということに。

「フィフティ・ピープル」は、社会におけるひとりひとりの立ち位置を今一度考え直させてくれる物語のような気がします。
ああ、もう一度読み返そう

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