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「ライ麦畑のつかまえ役」はもうこの国にはいないのか

ずっと読み継がれている名作てのは、時代によってメッセージが形を変えて響いてくるから残り続けるんだな、と思う。

1951年の「ライ麦畑でつかまえて」もそのひとつ。
タイトルの「ライ麦畑でつかまえて」というのは、主人公ホールデンがこうありたい、と妹に話すセリフからきているもので、
それはこんな感じです。

広大なライ麦畑があって、そこで大勢の子どもたちが遊んでいる。でも遊びに夢中でライ麦畑の端にある崖に気づかず、走っていく子どもたちがいる。そんなとき、僕はすっと現れ、落ちないようにキャッチする。そんなものになりたいんだ。


ここだけを抜き出すと、抽象的でなにをいっているかわからない。
小説全体から見渡すと、目先の利益にとらわれることなく小さな希望を追い求めることの素晴らしさを表しているようにも読めるし、
また、作家のサリンジャーが第二次大戦に従軍して、戦後はPTSDに悩まされた、ということから思いを馳せると、ライ麦畑は戦場で、子どもたちは兵士だ、という読み取りかたもできるようです。


今の時代、ライ麦畑ってなんだろう。今の日本で、ライ麦畑ってなんだろう。


「明日が今日よりも良くなると感じられる日本を目指す」と言うリーダーの言葉は、言葉だけ見ると、崖から落ちそうになる人を助けます、のようにも聞こえるけれど、どうもそうじゃない。
言葉と裏腹にやっていることは、
逆に崖から落ちる人は落ちないように自己責任で頑張ってね、と暗に囁いているようにしか思えない。

インボイス程度で廃業してしまうクリエィティブなんて辞めちまえ、のようなことを言っている人がいる。
どんどん崖から堕ちろ、と言っているようにも聞こえてしまう。


なんだかな、この国はどこへ行こうとしているんだろう。
SNSを通じてあからさまになる分断が息苦しくてたまらない。


コロナ禍で中国の作家・方方さんが著した「武漢日記」の一節がいま痛いほど染みてくる。

『一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、
高層ビルが多いとか、
クルマが疾走しているとか、
武器が進んでいるとか、
軍隊が強いとか、
科学技術が発達しているとか、
芸術が多彩とか、
さらに、派手なイベントができるとか、
花火が豪華絢爛とか、
おカネの力で世界を豪遊し、
世界中のものを買いあさるとか、
決してそうしたことがすべてではない。
基準はただ一つしかない、

それは、
弱者に対する態度である』


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