恥(ち)の多様性を感じたうららかな3月15日
マスク着用原則個人の判断に変わった二日目の3月15日、そこにはふたつの「隠す」「隠さない」がありました。
その日は朝から金山で打ち合わせでした。
自宅のある小牧から金山に向かうには、名鉄小牧線で平安通駅まで行き、地下鉄名城線に乗り換えます。
平安通駅に着いた電車はそのまま折り返しで再び小牧、犬山方面へと向かいます。
降り立った平安通駅のホームには多くの乗客が待っていました。
あれ、でも、いつもより人が多いぞ。なかには外国人グループもいて賑やかです。
犬山城に行くのかな、インバウンドも少しずつ復活してきたのかな、なんて春の訪れを感じます。
金山での打ち合わせを終え、栄に立ち寄ると、ここも賑やかです。春休みを迎えた若者たちで華やいでいます。
でもその多くはまだマスク着用。
素顔を見せるのに抵抗があり、下着を脱ぐのと同じように恥ずかしいと「顔パンツ」なる言葉もあるようです。
そんな様子を眺めながらSNSを開くと、なにやら怪しげな写真をあげているいくつかの投稿が飛び込んできました。
あ、そうか、今日はこの日だったのか。
小牧方面の電車に乗り込んだあの人たちはここに向かっていたんだ。
こことは、そう、小牧・田縣神社。
今日3月15日は、田縣神社の豊年祭なのだ。
未だ行ったことのないけれど、田縣神社の豊年祭は、男性のシンボル(!)をかたどった「大男茎形(おおおわせがた)」と呼ぶ木彫りを奉納し、子孫繁栄五穀豊穣を祈願する祭りなのだ。
SNSの写真には、巨大なアレや中型小型のアレやお菓子になったアレがずらりと並んでいます。
思わず人差し指と親指でピンチして拡大させ細部の精巧さを確かめたりもしてしまいます。
なかには、愛犬を愛でるようにアレを抱きかかえている女性(五人衆)や、そのその先っぽを撫でたり、「珍宝焼」なるアレの形をしたお菓子を頬張る女性の写真もあります。
そんな写真を眺めていると、おじさんたちの「しっかり撫でてけよ、子どもたくさん産んでもらわなかんで」というガハハ軽口がどこかから聞こえてくるかのようです。
かつて、ろくでなし子というアーテイストが、3Dデータ化した自身の女性器を頒布して逮捕されました。
自身の偶像化はダメで、誰のものかわからないものの偶像化は堂々と、の違いがよくわかりません。
まあ、むずかしいことは置いておくとして
こういう祭りのとき、木彫りやばななちょこや珍宝焼を作る職人さんがいるわけでして、その制作風景を想像すると楽しくなってきます。
木を削り形を整え細部を施し艶を出すために磨く。
そのときにどんな会話が職人間で飛び交っていたのか。
「もうちょっと先っぽをなめらかに」
「直立じゃなく少し反り返したほうがリアル」
「ここは段差が必要」
「もう少し濡れた感じでつややかに」
でしょうか。
当然その場合参考にするモノがあるわけで、それは写真なのか実物なのか。
大量に作るお菓子の場合、型が必要な場合もあります。
誰かの現物で型をとったのでしょうか。
品質管理だって厳重です。
はじかれてしまう基準は何でしょう。
長さ太さ反りのほかにどんな仕様があるのでしょうか。
なんてことを考えながら顔を上げると、
20度を超える春の陽気に誘われて上着を脱いだ女性たちの肌の輝きが目に飛び込んできます。
そのなかのひとりを、ちょっとちょっととつかまえて、ピンチして拡大した豊年祭を写真を見せたら、一発アウト、通報です。
いやいや、子孫繁栄と五穀豊穣を祈願するお祭りなんです。
だって日本はいま少子化で大変なんです。
脂ぎった偉い政治家の人たちが産んだら奨学金免除って言ってるじゃないすか。
と将来を憂いても一発アウト。
栄の街では、ざっと見渡すかぎり8割ほどが顔パンツを着用しています。
一方、田縣神社の写真ではパンツなしのアレが闊歩しています。
みごとなまでの恥(ち)の多様性です。
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