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私の「美」(22)「酒樽」

 京都の話をすると、はいはいみたいに扱う方々が多いのは知っていますが、今回も京都の話です。
 応仁の乱の前から明治時代になり没落しましたが、我が家は酒屋でした。
 そして、京都の四条通りの西端にある松尾大社が、代々の氏子でした。
 そして、酒樽。
 明治維新政府が慌てて神道を、下品にも変な形にして以来の神道ではなく、土着神道として、松尾さん(と呼びます)は、お酒の神様、そして免許を交付する神社として長年、私たちを見守ってきています。
 亡母の話だと、離乳食が酒粕だったとかで、現代のデカルト的医療ごっこを尊ぶ方々からすると、野蛮とか罵ると思いますが(レヴィ=ストロースの「野生の思考」さえ知らぬ医療界ですね)それが我が家の教養でした。
 未だに、酒樽に接すると、言葉を超えた感情が湧き上がります。レヴィ=ストロースが提示した、まさに「野生の思考」です。というか、彼が提示するる前から、この、島国では、当たり前だったのですが、ね。
 さてと、今夜も、呑みます。
 酒樽をめぐる、話は、尽きないので、次回!中嶋雷太

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