見出し画像

音楽があれば(13)レッド・ホット・チリ・ペッパーズとリンキン・パーク

 メロディアスでもあり、かつハード・パンクな勢いがあるロック・バンドも好きで、これまで色々なロック・バンドの楽曲を耳にしてきましたが、今のところは、やはりレッド・ホット・チリ・ペッパーズとリンキン・パークが燦然と輝き抜きん出ています。もちろん、彼ら以外にも数々ありますが、これはあくまで、私の好みとしてですからね。
 歴史という視点で人生を振り返れば、東西冷戦やベトナム戦争などや9.11などがあり、ここ数年も新型コロナのパンデミックやウクライナの戦争も発生しています。日本だけでも、神戸淡路や東日本の大震災だけでなく、大小様々な歴史的な事象が発生しています。こうした大きな時代のうねりをひしひしと感じつつも、単にノホホンとした日常生活の日常風景だけで生活していたならば、おそらくレッド・ホット・チリ・ペッパーズやリンキン・パークが、これほど好きにはならなかったはずです。
 例えば、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ。彼らはカリフォルニア州出身で、1999年にリリースされた「カリフォルニケイション」が大ヒットとなりました。この「カリフォルニケイション」は、拝金主義的なハリウッド映画産業を抱える「California」と「姦淫」という意味のある"fornicate" を合体した造語と言われています。メロディアス性を増したけれど、その背後にある痛烈な批判精神は音符の端々から伝わってきます。2000年からの数年L.A.に在住し、ハリウッドの映画業界や音楽業界と日々仕事を進めていた私にとり、その実感たるものやひしひしと感じました。ま、エンタテインメント・ビジネスですから仕方がなかったと思います。
 ところが、です。ロサンゼルスという街のイメージは太陽が燦々と輝き開放的な明るい街のイメージが一般的にありますが、実際住んでみるとラテン系、コーリャン系や黒人系の人たちが住むエリアがなんとなくですが区分けされており、エリアによっては年間百人近い人が殺されるというリアリティがありました。まさに光と影を抱えた街がロサンゼルスで、その湿度の高い影の部分にレッド・ホット・チリ・ペッパーズの楽曲が突き刺さりました。今でも、2000年年明けのグラミー賞授賞式での彼らの演奏は忘れられません。
 レッド・ホット・チリ・ペッパーズが二度目のグラミー賞を受賞した2000年にメジャー・デビュー(「ハイブリット・セオリー」)したのがリンキン・パークでした。ドラマーのフェニックスが「ラップ・ロックやニュー・メタルといったジャンル分けにうんざりしていた」と発言したようですが、聴く側の私もまた、音楽のカテゴライズがつまらなくなっていたのが2000年ごろのことでした。ロサンゼルスの街中の巨大ブック・ストア・チェーンのBarnes&NobleのCDコーナーで飾られていた彼らのCDを手に取り購入したのが最初の出会いだったと思います。確か、グラミー協会の関係者とランチをしていて、リンキン・パークの話題になりそのバンド名を覚えていたのだと思います。
 彼らもまたロサンゼルスを中心として集まったロック・バンドで、魂の奥底からの叫びのような楽曲の振動は、前述した影の心象風景にビビビッと共鳴したのを覚えています。当時、ロサンゼルス駐在でしたが、ヨーロッパへ出張することも多々あり、スイスのある町ではサッカーのフーリガンたちが何十人も路上でぶつかり殴り合ったり、イタリアのある瀟洒な町の駅裏には簡易テントが林立し、表のオシャレな顔とは見事に異なる影が覆っていたり、そして2001年9月11日には、私はマンハッタンにおり、あの壮絶な光景を目の当たりにすることになりました。生きていると、光で覆われた心象風景だけではないものです。そして、リンキン・パークの楽曲は、その影になった心象風景を突き刺してくれました。
 音楽ビジネスとして、楽しくて明るい、光だけの心象風景で楽しんでもらうというのは正論なのでしょうが、人工的に照らされた光はあくまで幻想で、物事の本質、リアリティからの逃避の為の道具なのかもしれません。レッド・ホット・チリ・ペッパーズとリンキン・パークの音楽は、浅はかなセンチメンタリズムを超えて、グサリと私の心を打つものになっています。中嶋雷太

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?