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メタバース・クリエイティブ・ノオト(5)

 VR演劇『Typeman』(監督:伊東ケイスケ)の制作に関わるとき、ストーリー・ライターと兼務してストーリー・コンストラクターというタイトル(肩書き)で挑みました。映画や演劇では脚本家というタイトルが常識になっていますが、VR作品に携わるなか、脚本というスタイルは馴染まないと思ったのが理由の一つです。
 従来の脚本についても、(原作ありきの場合は除いて)脚本に入る前に、物語をしっかり描き上げておくことが肝要かと考えていますが、特にVR作品については、より重要性を増すと考えています。
 ストーリー・ライターというタイトルについては理解し易いと思いますが、ストーリー・コンストラクターというタイトルは「そのようなタイトルはこれまで存在していないし、英語にもない」と思われるのが当然です。これは私の造語ですから。ただ、このスタンスがとても重要だと考えました。
 ここまでの全4話をお読み頂いた方なら理解し易いと思いますが、このストーリー・コンストラクターとは、禅庭の作庭師にとても近いものです。
 前話で、夢窓疎石「夢中問答集」にある「山水に得失はなし、得失は人の心にあり」という言葉を紹介しましたが、まさにこれこそ、VRでのクリエイティブで、まず理解しておくべきものだと思います。
 VRの世界で何らかのクリエイティブを創造するとき、そこに最初に存在するのは、x軸、y軸、そしてz軸の三次元の透明な空間です。
 そこに美しく綺麗に造形するだけで、もちろん素晴らしい世界が描けるでしょうが、ここではその「世界観はどうか」と考えたいと思います。つまり、その造形の下にある地勢はどのような地勢なのかです。
 禅庭の作庭師が庭を設計するときに、まずはそこにある地勢を読みます。自然にあるがままの地勢の物理的な形状だけでなく、その地勢がもたらす光や影や風の動き…全感覚を総動員し、全感覚を研ぎ澄ませ、その地勢のありようを感じ取るわけです。
 では、三次元の何もないVRの世界ではどうかというと、元々そうした地形などは存在してはいません。VRの作り手が、自らその地勢を設計し造成して作り上げねばなりません。
 その地勢感覚があるかないかで、その上に描かれた造形のふくよかさや強靭さが、見事に分かれると思います。
 精神が豊かでない者が、どれだけ知識を記憶しそれをひけらかしても、人格ひ弱な者でしかないというのは、日常生活でも、皆さんが感じるところだと思います。

 話は11世紀後半の「作庭記」に遡ります。それまで口伝として伝えられてきたものを編纂したのが橘俊綱という人物です。平安時代中期11世紀の初めごろに編纂されました。この「作庭記」は日本最古の作庭書で、さらにまとまったものとしては世界最古だとも言われています。
 いわゆる庭の建築デザインの基本書のようなもので、そこには、13世紀から14世紀にかけて生きた、天龍寺などの禅庭の作庭師・夢窓疎石のような禅宗的な精神性(例えば「夢中問答集」にある精神性)は描かれてはいません。
 ここで、この「作庭記」を引き合いにだした理由のひとつは、地勢を読まず、あくまで表面的な造形だけにこだわった「作庭記」と、その造形の基本にある地勢、そしてそこに対する精神性を重要視した「夢中問答集」を比較することで、前者の表面的なクリエイティブで終わるか、それとも後者の表面の下にある、ある種の精神的なものをも取り込むクリエイティブをとるかが、分かりやすく理解できるかと思ったからです。次回はさらに、作庭師の世界観を覗いていきたいと思っています。そこにこそ、VRの世界でとりくむべきクリエイティブの基本が根ざしているからです。中嶋雷太

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