見出し画像

メタバース・クリエイティブ・ノオト(1)

 2022年7月6日まで「プロダクション・ノオトーメタバース編」として第10話まで綴りひと休みしていました。今日からは「メタバース・クリエイティブ・ノオト」として不定期に綴りたいと思っています。
 数年前からVR作品にストーリー・ライターやコンストラクター(私の造語)として制作に関わったり、昔からの知人の依頼で経営コンサルト会社の取材を受けたりする機会があり、私なりのメタバースでのクリエイティブのあり方について考えをまとめるツールとしてこのnoteを使いたいと思っています。
 本題に入る前に、京都太秦で育ったせいもあり映画(を製作すること)はとても身近なものでした。そして1990年に番組プロデューサーとしてWOWOW立ち上げに参加し、国内外の映画、演劇、音楽、スポーツ等に直接・間接に30年あまり関わるなか、エンタテインメントのクリエイティブやビジネスのあり方をまざまざと見てきたのもあり、新たなメタバースという世界でのクリエイティブとはなんだろうかとか、どうあれば良いのだろうかと、考えてきています。また、2019年からはインディペンデントとして映画製作(第一弾は海外で30以上ものアワードを受賞した『Kay』)や十数作の物語を世に出し、自ら製作者であり物語作家として動きはじめるなかで、やはりメタバースという空間については考えることが多々あります。
 冒頭にも書きましたが、この夏まで、思うところを徒然に10話まで綴っていましたが、改めて、もう少し分かりやすく綴ってみようかと考えたところです。
 さて、その最初の書き出しは、「現象学的還元」からです。最初から小難しいことを綴る私です。
 「現象学的還元」とは現象学哲学者のエトムント・フッサールが提唱した言葉で、私たちがあたりまえだと無条件に受け入れている常識を一度捨て去ると言えば良いのかもしれません。(フッサールはそれを「一時保留(エポケー)」と呼びました)
 メタバースの時代だ!とかメタバースは凄い!といった興奮気味でビジネス優先型の機運があり、無前提にその周りでキャーキャーと騒ぐ方々もいらっしゃいますが、元来ファナティックなのが嫌いなのもあり、私はなるべく冷静に、メタバースでのクリエイティブについて考えたいと思っています。つまり現象学的還元なわけですね。
 今日は、その最初のさわりの二つだけを、そっと綴らせて頂き、簡単だけれど、とても大切な視点を提案させてもらいます。
 一つ目は、そもそもゴーグルをかけてまで楽しめる世界を描けるかどうか、クリエイティブを創造できるかです。
 そして、二つ目は、てろんとした三次元空間をプラスチック・コーティングしたようなもので良いのだろうか、つまりメタバースの観客であり参加者である人間の持つあらゆる感覚を楽しませることができるクリエイティブとは何だろうか、です。
 一つ目については、例えばですが、私は長年国際エミー賞の審査員をやってきて思うに、「これって映像化し物語化する必然性はあるのだろうか?」という審査眼を養ってきました。主張するところはとても素晴らしい映像作品だとしても、何故映像化しなければならないのだろうという映像作品に出会うことがあります。エコの為にと主張しつつ、その事業がなければもっとエコじゃない?という事業などに出会うようなものです。わざわざメタバースで見せなくとも良いんじゃない?という映像作品も出てきているようにも思っています。消費者は勘が鋭く、ゴーグルをかけてまで観たい映像作品ではなければ、そっぽを向くだろうと思っています。なので、一つ目の「ゴーグルをかけてまで楽しめる世界を描けるかどうか、クリエイティブを創造できるか」を問うことは、メタバースの未来を問うことだと思っています。
 二つ目の「人間の持つあらゆる感覚を楽しませることができるクリエイティブとは何だろうか」ですが、一つ目の話のより具体的な話になります。私の経験上、通常の映画や演劇などとは異なり、メタバースの世界でのクリエイティブは、その根本から異なる部分が多々あると思っています。ともすれば、それってPCやスマホで良いんじゃない?的な作品が存在します。あれは何だろうかとツラツラ考えるに、これまでの感覚をメタバースの世界に当てこめているのではないかと思っています。ここで大切なのは冒頭で書いたように「人間の持つあらゆる感覚を楽しませることができるクリエイティブ」とは何かです。その切り口を助けてくれるのは共通感覚論ではないかと内心確信しています。これについてはこれから分かりやすく綴っていきたいと思いますが、お時間があれば、中村雄二郎さんの「共通感覚論」(岩波現代文庫)を事前にぜひお読み頂ければ理解し易いかと思います。
 せっかくのメタバース世界なのですが、お金になるから!的な動きもあり、それではメタバースの未来を毀損するかもしれません。勢いはとても大切ですが、メタバース!と叫びながら、メタバース世界の未来を自ら破壊する可能性もありますので、ここはファナティックにならずに、沈思黙考する時間をもって、クリエイティブのあり方について生真面目に考えてみてはと思っています。次回からは、不定期ですが、ここに綴った二つの視点から、お話を発展させていきたいと考えています。では、これからの思考の旅にお付き合いくださいませ。中嶋雷太

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?