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私の美(28)「松尾大社の境内の酒樽」

 神社の境内に積み重ねられた酒樽風景は子供の頃から慣れ親しんでいました。祖母が15世紀に遡る酒屋(没落しましたが)の長女だったこともあり、京都の四条通りの最西端、桂川を渡った山沿いにある松尾大社の氏子だったようで、また山沿いに北へ行くと嵐山があり親戚なども住んでおり、一年に何度も松尾大社に行く機会がありました。しかし、昭和の時代はまだ親戚との行き来が多かったようですね。
 松尾大社は遡ると五世紀に帰化人の秦氏が朝廷から招かれ丹波国にやって来て、松尾山の神を一族の総氏神として崇めたのが始まりで、701年に創建されたということです。境内には霊亀ノ滝、亀ノ井の名水があり、醸造の祖神として全国の酒造家、味噌、醤油、酢の製造や販売業者の信仰が厚い神社です。調べたことはありませんが、日本全国の主な醸造所には松尾大社のお札が貼られているのだと祖母が教えてくれたことがあります。
 時代小説や時代劇ドラマで松尾大社が取り扱われることはまずなく、また京都や日本の文化を研究する学者の皆さんは平安京以前のこの盆地や山沿いの文化にはほとんど興味を持つことがないようで、観光ガイドブックもなかなか取り上げないせいもあり、観光客の姿はいつもまばらです。けれど、794年に平安京ができたと考えると、その数世紀前の五世紀に秦氏が松尾山の神を一族の総氏神として崇めたて、701年に松尾大社が創建されたと考えると、京都盆地の歴史は、平安京以前からもちろん始まっていたわけで、京都へやって来た観光客の皆さんにはやはり一度は訪ねて頂きたいと思っています。
 この秦氏が奉った神とは松尾山に鎮座しており、それは明治時代に十把ひとからげで国家にまとめ上げられた貧相な信仰心ではなく、心通った原始的な神道、土着的な神道のひとつだったはずです。(私はこうした土着的な宗教が好きです)
    さて、酒樽です。
 日本酒の呑めぬ子供の頃から、何十種類もの酒樽が並んでいるのがとても不思議であり、かつ惹きつけられていました。いつの日かすべてを呑みたいなどとは思ってはいませんでしたが、酒屋の血が流れていたのか気づけば日本酒の虜になっていました。
 静かな境内に居並ぶ全国からやってきた酒樽たちに納められる日本酒たちは、この境内の裏山、松尾山の霊亀ノ滝から流れ落ちてきた亀ノ井の名水で仕込まれた美味い液体に違いないという子供の頃の妄想は今も心の奥底に眠っており、その妄想も相まって、そして松尾山に鎮座する土着的な神様への撞着もあり、境内に並び置かれた酒樽は、私を惹きつけて止みません。酒飲みの戯言のようですが。中嶋雷太

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