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悲しきガストロノームの夢想(55)「刺身定食」

 出だしから夢がないことを言ってしまいますが、外食で刺身定食に出されるお刺身に「驚くほど美味い!」と思ったことは一度もありません。ただ、何種類かの魚介類が鎮座しているだけで幸せなのです。中には「いやいや、◯◯の刺身定食は絶品ですよ!」と教えてくださる方もいらっしゃるかとは思いますが、ここで言うところの刺身定食は、何千円もの金額のものではなく、大衆的な千円ほどの刺身定食を指していますので、悪しからず。
 魚料理をメインにする料理店は多々あります。高級な割烹から、和食主体の居酒屋から…。その中でも、漁港の飯屋さんが好きです。旅先で漁港に訪れ、長年の潮風でくたびれた暖簾が目につくと、考える暇もなく暖簾をくぐっています。ちなみに、私が漁港に惹かれる理由は、いずれの日か、noteで語らせてくださいませ。
 ガタつく椅子の席につき、温かい緑茶を手に壁に貼られた手書きメニューをひと通りゆっくり眺め終わると、その飯屋が初めてなら、私は必ず刺身定食を注文します。期待値はゼロで、あくまで基本だからというのが理由です。そして、毎回、期待値ゼロの刺身定食を楽しみます。
 おそらくですが、刺身定食は、そのお店のサービス・メニューに違いなく、盛られた数種類のお刺身それぞれは、経営上は高級なものにはできないはずだと睨んでいます。とはいえ、サービス・メニューであればあるほど、そのお店の最低レベルを超えたものでないとお客さんはリピートするわけがなく、次回の来店で一品料理を注文してもらえるはずがありません。
 という身勝手な考えで、そのお店の基本になるであろう刺身定食を必ず注文します。そして、盛られたお刺身だけでなく、いくつか並ぶ小鉢とお味噌汁、そしてご飯の炊き方が楽しみです。
 小鉢にはヒジキの煮物や胡麻和えやお漬物、そのお店ごとに採算ラインを考えた工夫が施されています。
 お味噌汁は、青さだけの具で十分です。具よりもお出汁がとっても大切です。刺身定食が運ばれてくると、最初に手をつけるのがお味噌汁で、ひと口でそのお店が真面目なのかどうかが分かります。お出汁をしっかりとっているかどうかは、良い飯屋のリトマス試験紙の一つだと思っています。しっかりお出汁をとると言いますが、濃くとるのが「しっかり」という意味ではありません。お出汁は濃ければ良いというものではありませんから。そして、ご飯。高いお米というよりも、そこそこのお米であることが多いのが定食で出されるご飯ですが、そのお米の質をしっかり理解して、上手に炊き上げたご飯こそ美味しいご飯だと思っています。これまで外食で食べたご飯で一番美味しかったのは、九十九里にある海辺の焼き蛤メインの海の家のような飯屋で、梅雨どきで暇だったのか、その店の(たぶん店長の)80歳は超えるだろうお婆ちゃんが運んできてくれた、おにぎりでした。お婆ちゃんに「このお米は美味しいですね」と感謝すると、自宅の裏でとれた米だと教えてくれました。銘柄など聞くまでもない、美味しく炊き上げたご飯だからこそ、美味しいご飯なのだと教えてもらいました。良い飯屋のリトマス試験紙のもう一つが、この美味しくご飯を炊き上げているかどうかで、これも大切ですね。
 納得ゆく刺身定食に出会うと、私はとても幸せになります。そして、次にこの飯屋に来たときには、刺身定食にプラスアルファして、サザエのお刺身やアワビのお刺身などを追加の一品として注文しようと決めています。
 問題は……その漁港の飯屋を訪れる「次」がなかなか来ないことです。
 必ず大盛り飯を頼み、満腹になり、「はぁ、美味かった!」と心の中で叫んだ瞬間の幸福感は、なんとも言えません。中嶋雷太

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