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私の好きな映画のシーン(11)「老人と海」

 これまで何度も書きましたが、私が子供のころはテレビで洋画を観るのがテレビ視聴の基本でした。幼稚園児だったころ、夕食を終えた父や母と一緒に、日曜洋画劇場(解説:淀川長治)、月曜ロードショー(解説:荻昌弘)、少し遅れて水曜ロードショー(解説:水野晴雄)と洋画三昧のテレビ文化を楽しんでいました。いまのように洋画が充実したWOWOWやスターチャンネルはなく、オンデマンドも当然ない時代で、生活を番組表に合わせなければいけませんでしたが、「今日は絶対見るぞ!」と新聞の番組表を睨むように、とっても大切にその洋画体験を楽しんでいました。おそらくですが小学六年生を終えるまでに、千作品を超える洋画を観ていたはずです。
 ジョン・スタージェス監督の『老人と海』を観たのは小学校低学年だったと記憶しています。そのころはまだ原作を読むほどの英語力はありませんでしたが、高学年になり、福田恆存さん(シェイクスピア戯曲の翻訳等)の翻訳本を読み、中学生になりペンギン・ブックスで原書を手にしたのを覚えています。
 映画『老人と海』に惹かれたのは主人公である枯れゆく老人役のスペンサー・トレーシーの演技でした。もちろん淡々と進行するストーリー・ラインやジョン・スタージェス監督の映像美の筆致もありますが、やはりスペンサー・トレーシーの演技に、ある意味惚れた子供でした。1900年生まれの彼は、製作時は58歳。21世紀のいまなら、まだ老人ではありませんが、人生の多くの時間を辛酸と少しの栄光を抱え生きてきた一人の人間を演じています。
 なかでも、私が好きなシーンは、少年が運んでくれた食事を食べ終え、古い新聞を広げ大リーグの記事を読みながら、軋むベッドに横たわるシーンです。漁に出ても魚の獲れぬ老いた漁師が、絶望的な日常に昔の良き時代に思いを馳せる…けれど、そこには単なる絶望に甘んじない人間をスペンサー・トレーシーが演じていました。
 小学校低学年の私は、理性的な知性でなく、あくまで感覚的な知性でそれを理解していたように思います。(私は、この感覚的な知性を重んじております)
 後年、スペンサー・トレーシー出演作を調べてみると『花嫁の父』や『招かざる客』は知っていたものの、煌びやかな大作に出演し続けた現代的な大スターというわけではないのを知りました。真正の燻銀の俳優だったようです。
 ここまで綴ってきて、映画のナレーションもスペンサー・トレーシーだったのを思い出しました。渋い彼の発話も、この映画のトーンを形作っていたはずです。中嶋雷太

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