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本に愛される人になりたい(20)「工藤正市写真集『青森』」と語り口

 2020年春までの数年、毎冬(しかも厳冬期)、青森に行き、凍りつき吹雪く津軽半島や八甲田山、弘前や青森市内のあちらこちらを訪ねていました。ある物語の為の取材旅行を兼ねてですが、未だその物語の執筆は始めていません。その大きな理由は、その物語の語り口がまだ手にしっくりこず、私の頭のなかでその語り口の文法を探しているところだからです。その語り口とは、美しい日本語で描けるものではなく、かと言って方言を使えば良いというものでもありません。ブツ切れの感情や言葉や思考が私たちの日常の心象風景で、それらを美しい日本語で整えてしまうや否や、ブツ切れという日常の生活感覚を見事に殺してしまうと思っています。
 第◯波と世が騒がしくなった2020年春以降青森を訪ねることなく、青森に思いを馳せてはその語り口を夢想していましたが、2021年9月に本書「工藤正市写真集『青森』」が出版されたのを知りこの表紙の写真に心惹かれ、そこにその語り口を見つける糸口があると確信しました。
 1950年から1962年の青森の人々の、その喜怒哀楽のありのままの写真が収められた本書を、一頁ごとめくるたび、私が求めている語り口の糸口がありました。
 人々が戦後を生き始めた時代、けれど高度経済成長前の時代。そこには、生きる辛さを背負いながらも今日を生きる迫力のようなものがあり、流す涙や汗や土ぼこりの香りが、むせ返るようにたちこめていたのだと思います。そして、雪解けの泥道にこぼれ落ちていたブツ切れの感情や言葉や思考は、この写真たちが撮影された1950年から1962年だけのものではなく、現代の私たちの生活の根底にも土くれ混じりの根雪のように存在するものだとも思っています。
 あと数年以内に、この語り口の文法をある程度完成させ、物語執筆を始められればと願っています。その前に、マスクを取り外し、本書を抱えて、厳冬の青森を訪ねたいものです。中嶋雷太

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