見出し画像

ワードローブの森の中から(61)「残暑に衣替えを考える」

 そろそろ、季節は、二十四節気で白露、七十二候で草露白(くさのつゆしろし)となります。「四季はなくなった!二季だっ!」と騒ぐのも仕方ないほど日本の季節感は激しくなってきましたが、46億年の地球史からすれば、こんなこともあるだろうと思っています。もちろん、そろそろ産業革命が始まったころに作られた進歩史観など捨て去る頃合いだとは思ってはいます。
 二十四節気の処暑、七十二候の禾乃登(こくものすなわちみのる)を終えるころ、つまり穀物の穂先の毛(禾(のぎ))である稲が実り始める頃合いとなり、草露白となってまもなく朝露が白く輝き始めます。
 お馬鹿さんたちが鉄砲振り回し、人の安寧を脅かし喜んでいるのを、しっかり見つめつつ、そんな殺伐とした生き方では死ぬ間際に鬼が出るぞ(祖母がよく言っていた言葉です)と睨みつつも……こちらの心までそんな連中に引きづられ殺伐となるのはお断りなので、私はのほほんと七十二候の草露白を楽しもうと考えています。
 エアコンをつけ、涼しくなった納戸の奥のワードローブをゴソゴソしていると、冬支度の服たちがひっそりと眠っています。中でも、シュリンク袋のダウンコートたちは、「早く外に出してくれー」と叫んでいるようですが、真夏の感覚に浸り切った私にとり、彼らはとても遠い存在になっていて、毎冬着ているにもかかわらず、ダウンコートを着るイメージが一切浮かんでこないわけです。
 タイミングを細かく分けて衣替えをすれば良いのですが、面倒な私は年二回と決めているので(衣替え二季体制ですね)、来春までの衣服をイメージしなければなりませんから、ダウンコートを着るイメージを取り戻すのに躍起にやります。半パンとTシャツ姿で、冬場のファッションを考えるわけですから。
 ここで心を治めてくれるのが七十二候です。「どうしたものか」と呆然としながら、「ま、そろそろ七十二候で草露白だもんな」と考えると心が落ち着いてきます。作業の手は止まりますが、一服の煎茶を愉しむような気分になります。
 そうこうしていると、草露白のあとは、鴻雁来(こうがん きたる) 、鶺鴒鳴(せきれい なく)、玄鳥帰(げんちょう かえる)、玄鳥去(げんちょう さる)、羣鳥養羞(ぐんちょう しゅうを やしなう)…と考え始め、ふむふむと、秋から翌春までの我が身を思い出してゆきます。慌てない慌てない精神です。中嶋雷太

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?