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プロダクション・ノオトー「メタバース編」(6)

 ここまで五回に渡り「映画館」を巡る場のストーリーについて綴ってきましたが、最近語られつつあるメタバースと呼ばれる「場」についての考えを備忘録的に綴ってみようと思い立ちました。ま、私の考え方を簡単にまとめてみようという感じではありますが。
 世の中的には「仮想空間」だよね、あのアバターとかで参加してあちこち行ってだよね、なのかもしれませんが、フィンランドのノキア社によれば「2025年からXR(拡張現実)を活用した産業向け、一般消費者向けアプリが浸透しだし、2030年から6G活用の本格的メタバース時代が始まる」というスケジュールだそうです。2020年1月に発表された「ドコモ6Gホワイトペーパー」初版でも2030年にはこのメタバースの世界が立ち現れそうです。振り返れば、2000年ごろ、日本のデジタル・ハイビジョン化のために、ロサンゼルス事務所所長だった私はハリウッド・メジャー・スタジオ(Fox、Warner、Universalやディズニー等)と録画制御の交渉を行っていました。デジタル化すると画質を落とすことなく無制限に録画が誰にでも可能となるわけですから、ハリウッド・メジャー・スタジオとしてはビジネスの危機だったわけで、交渉はかなり難航しつつも、結果的には現在の形に落ち着きました。こうした純個別な交渉作業が何千も必要なデジタル化には、大きな見取り図が必要不可欠だというのを実感しています。さて、スマホが6Gやさらにその先へと進化し、決済方法がより簡便になり、物流のロジスティックスも迅速化され、エンタテインメントの表現スタイルも多様化するなどを考えると、良し悪しに関わらずシームレスな世界観がこれから現れるのだと思います。
 いま、こうしたメタバースでの商機を模索している方が数多くいらっしゃるようで、この半年に限っても、私の周囲だけでも、十数人の知り合いからメタバースの勉強中だという話を聴いています。ただ、「場のストーリー」という観点から観ると、その数多くの議論は、どうもこれまでの世界観を当て込もうとしては、しっくりしないという議論が多いようです。もしかすると、想像性を欠如させたまま、なんとなくメタバースに関わろうとしている方がいらっしゃるのかもしれません。
 先ず、立ち現れるのが現実社会とメタバース社会の関係性だと思いますが、一言で言うと、現実社会ほどシームレスなものはないと考え、現実社会を拡張するメディア(メタバースという社会自体をメディアだと位置付けてみます)だと考えると、これまでの経験値だけでメタバース社会を語り、思考停止に陥ることを避けられるのではないかと思っています。個人的には、無理やり過去の経験値だけで明日を語ることは、無駄だとも考えていますし、せっかくの新しい世界観を歪なものにしてしまうとも考えています。
 ここで使った「拡張」という言葉は、マーシャル・マクルーハン著「メディア論-人間拡張の諸相」(みすず書房)からの言葉です。荒い説明になり恐縮ですが、自動車は人間の脚を拡張したメディア、テレビは人間の視覚を拡張したメディア……ととらえます。
 そうすると、メタバース社会とは何かと問うと、私は現実社会というものの、その社会そのものの拡張したメディアではないかと映ります。そして、メタバース社会というーテレビやラジオとかの個別メディア議論ではないー総合的な現実社会を拡張するメディアとは何かが、浮かび上がってきます。(続く)中嶋雷太

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