見出し画像

私の美(42)「ローリングスのグローブ」

 子供の頃は京都の町中に住んでいたので、遊び場は路地(「ろーじ」と発音)か小学校の校庭でした。平日は、授業が終われば夕方まで校庭を解放していたので、雨が降らない日は野球と決まっていました。授業が終わりダッシュで帰宅してランドセルを放り投げると、玄関のバットとグローブを手に、再びダッシュで校庭に向かいました。塾や習い事などほとんどない時代でしたから、毎回20人ほどの同学年の仲間が集まりました。
 最初に買ってもらったグローブは、三条寺町近くにあるスポーツ店のものでした。京都に戻りそのスポーツ店の前を歩くと、父の思い出がふと湧き上がります。
 戦前は、都市対抗野球に出場したり(当時は企業単位ではなく都道府県から選抜だったようです)、後楽園イーグルスのユニフォームをもらいプロを目指しかけましたが戦争に徴兵され断念した野球好きな父でしたから、息子が野球にはまっているのを喜んでいたのかもしれません。
 さて、その子供用グローブで日々野球を楽しんでいましたが、小学校を卒業するとサッカーにはまり、野球は見るものになってしまいました。
 同級生たちも、習い事や部活動などでバラバラになり、小学校時代のように、日々野球を楽しむような年齢ではなくなりました。
 どこでどのようにローリングスのグローブのことを知ったのかは記憶していませんが、大リーグの選手がローリングスのグローブを使っていることを知り、そのフォルムに強烈な憧れを抱いていました。テレビで大リーグの試合など放送しているわけがなく、一方で日本のプロ野球選手はミズノかSSKのグローブで、ローリングスのグローブは、私にとっては最高峰のグローブだというイメージが、いつの間にかできあがっていました。
 2000年代に入り、L.A.駐在となり、ウェスト・ハリウッドに住んでいたころ、ふと立ち寄った巨大スポーツ店に入り、ぶらぶらスポーツ用品を見ていた時です。野球コーナーの硬式野球用品が目に入りました。
 どれどれ…「野球が好きだったなぁ」とグローブ・コーナーに近づくや、あの皮の香りがぷーんとし、私の心に眠っていた野球小僧魂がポコっと飛び出しました。父が買ってくれた最初のグローブは、SSKのものでしたが、昭和30年代の少年用ということもあり、皮はヘナヘナで、見栄えもそんなに良くはありませんでした。もちろん、愛着はありましたが、こうして野球の本場のアメリカの、ローリングスの硬式野球用のグローブを前にすると、いかに私の野球感は狭かったのかとつくづく思いました。しかもプロ・ユースですから、憧れの憧れです。
 値段を見ると百ドル以下。
 給料をもらっている身としては、そんなに高いものではなく、衝動的に買ってしまいました。野球をすることもなく何十年も生きてきた私にとっては、実用性などこれっぽっちもありませんでした。
 それは、野茂がドジャースで頑張っていて、イチローがようやく大リーグにやってきたころです。ドジャース・スタジアムで、野茂vsイチローも観戦しましたが、日本ではまだ大リーグというのは、高嶺の花で、一部の野球ファンだけしか興味がなかったかと思います。
 さて、このグローブです。
 皮の香りだけでなく、丁寧に組み立てられたフォルムが美しいわけです。硬式野球という遊びを目一杯楽しむ為に造形されたフォルムですが、その機能美はなんとも言えず魅惑的です。
 左手を挿入し、右手でグーを作ってボール化してパンパンとグローブを叩くだけで、私は野球少年になります。
 もう二度とプレイしない野球でしょうが、このローリングスのグローブがある限り、私はいつでも野球小僧に戻り、校庭を走り回っていた日々を思い出し、ニタリと笑みを溢します。中嶋雷太

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?